昨年の9月3日、中国政府は最大の“愛国キャンペーン”として天安門広場に1万人を動員、人民大会堂には党指導部や元兵士、華僑代表ら約6千人が出席して 「抗日・世界反ファシズム戦争勝利60周年記念行事」 なるイベントを挙行した。
 今年6月には長征七十周年を記念して、 「♪共産党がなければ新中国はない」 などと謳う革命家の記念館が落成した。
 取材に行った産経新聞記者は展示に 「胡耀邦、趙紫陽」 のパネルが不在で、歴史は 「毛沢東 鄧小平 江沢民 胡錦濤」 ラインが正当とされていることを報じた( 2006年8月7日付け )。
 そればかりではない。 中国全土に203ヵ所もある 「反日記念館」 だけでは物足りないとして、過去2年間だけでも新しく7つの 「抗日記念館」 を鳴り物入りで新設した。 南京に 「日本戦犯裁判記念館」 、黒龍江省チチハルに 「旧日本軍毒ガス被害記念館」 、湖南省常徳に 「細菌戦被害者記念館」 などなどである。 今や中国全土に合計210ヵ所もある。
 余談だが、 「反ファシズム戦争勝利60周年記念」 の席上、胡錦濤は驚くべき基調報告をしている。
 中国共産党のトップが、 「抗日戦の主体は国民党だった」 と率直に認め、共産党は 「国民党軍の背後にまわった」 と総括したのだ。
 実はこの本当の狙いは台湾対策の謀略である。 その直前に台湾野党の指導者( 連戦、宋楚瑜ら )を大挙、北京に招待し、パンダを贈呈すると言いだした。 世界最大の親日国家=台湾を 「反日」 へ巻き込もうとする謀略である。




 反日記念館の御三家は ①北京の 「抗日人民戦争記念館」  ②南京の 「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館」  ③瀋陽の 「918事変博物館」 である。
 順次見ていこう。 展示内容といえば、どこもデタラメの一語に尽きる。
 北京の町はずれ、盧溝橋の貧困街の真ん中に2005年7月に新装なった 「抗日人民戦争記念館」 がある。
 近くには 「彫刻の森美術館」 ならぬ 「反日彫刻公園」 というおどろおどろしい広場が、江沢民の肝いりでつくられている。 だが入園料を取るので、現地の人はほとんど寄りつかない。
 抗日人民戦争記念館正面玄関には軍人達の大きな銅像レリーフがある。
 入り口の壁には 「中国軍歌」 の音符が飾られ、国歌 「義勇軍行進曲」 の譜面が飾ってある。
 展示室の第一号パネルは、かの歴史的偽書 「田中上奏文」 。 日本が世界征服を企み、それを天皇が認可したというでっち上げの田中上奏文は、日本ばかりか世界の歴史学者が完全に否定している。
 そんなことはなんのその、冒頭から偽書に基づく史観が展開されているのである。
 次の展示室は 「東北抗日軍」 。 要するに土匪どひ、ゲリラ、強盗団の類が 「抗日」 でひとくくりに 「正義の軍隊」 と総括され、やがて共産党の 「ただしい指導」 で日本に勝てた!となる。
 当時、満州に跋扈した土匪、山賊は 「抗日」 をスローガンにはしたが、やってきたことは強盗と誘拐の類いだった。 共産党とは直接の関係がなく、国民党から武器の横流しを受けていたりした節操のなさで、多くは地方軍閥と組んだ。
 当時の実態を、長野朗 『支那の真実』 ( 昭和5年、千倉書房 )がこう伝えている。
 「支那には全国に土匪が数百万人も散在し、その団体も大きいのは数千人、時に1、2万の大集団をなすことがあるので、土匪討伐は軍隊の一つの大事な仕事であるが、それがなかなか面白い。
 軍隊が増えるとかえって土匪が増えるというのは、土匪は武器がなくては商売が出来ない。 それを供給するのは軍隊であって、軍隊が土匪討伐をやっている間に商売をするのである。 軍隊にしてみれば、土匪を討伐しても自分にはなんの利益もなく、下手すれば大事な命を失わなければならぬ。 それよりも土匪と妥協して金儲けした方が得であると考える。
 これは支那人の利己的なあたまから考えれば当然のことである。 ある軍隊が土匪討伐に行って土匪が略奪している隣の村まで行くと、使いをやって適当なときに逃げさせる。
 土匪は一通り略奪が終わって引き上げた後に、軍隊が入ってきて、われわれの力で軍隊を討伐したのだからというので村人にご馳走をさせ、上役には我が軍奮闘苦戦の結果土匪を撃退したと報告して褒美を貰う。 土匪からは略奪品の一部を献上させ、その代わりに軍隊は弾薬等を返礼にする」





 北京の抗日人民戦争記念館の展示に話を戻す。
 「国民革命軍」 と 「八路車」 の結成、山西省平型関で115師団が日本を待ち伏せして 「勝った」 とある。
 共産ゲリラが日本軍の精鋭1万をだまし討ち、狭谷に誘い込み、伏兵で勝った 「台児庄戦役」 ( 1938年 )は 「大勝利」 だった、と謳われている。 実態は日本の輜重しちょう隊だった( つまり荷駄隊で正規軍ではない )。
 しかし一言もそういう真実は書いていない。
 日本車は国民党と戦ったとはいえ、正面衝突はほとんどなく、蒋介石は南京から重慶まで逃げまくって米国の支援を待った。 毛沢東の山賊ゲリラは、峡谷へ日本軍をおびき寄せてのだまし討ちだけが得意だった。
 また日本が満州事変以後、各地につくった親日派政権はことごとく 「偽」 の名前を冠して、一覧されている。
 革命後、毛沢東のもとへ民主各派のりーダーが揃った。 彼らは1949年10月1日、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した時、全員が雛壇に並んだ。 やがて利用価値がなくなると、全員が粛清された。 そのあとの話は、一切、展示には出てこない。 共産党内の凄まじい殺し合い、内ゲバ、粛正などは極めて正確に削除されている
 2005年7月7日に再開された同館では、731部隊が行なったという細菌人体実験と毒ガスの展示だけが撤去された。 あまり明らかな嘘を並べると見学に来る中国人の子供達からも疑われるからだろう。
 731部隊と言えば、2005年8月、北京の音楽庁で森村誠一原作の組曲 「悪魔の飽食」 が上演された。 同原作は日本軍731部隊の 「生体実験」 を描いて日本では偽書扱い、版元が絶版にした。 ところが中国で森村誠一は依然として 「国賓待遇」 の扱いを受けている。
 コーナーを曲がると展示は一気に現代へ飛んで、1972年、田中角栄の訪中、毛沢東との握手の写真。 そして村山富市が1995年5月3日に、この抗日記念館を訪れて揮毫きごうした 「歴史を直視し日中友好、永久の平和を祈る」 の写真が大きく飾られている。
 友好ムードを演出しているのだ。
 出口にもうひとつ 「日本軍暴行館」 なる特別展示室があるが、この解説がひどい。
 「日本軍が物資を略奪し、日本に輸送」 ( 事実としての満州経営は日本のGDPの43%もはたいての“持ち出し”だった )
  「日本軍が行くところ、ニワトリや犬さえ居なくなる」
 これは戦前の 『アサヒ・グラフ』 の写真を盗用し、説明文をすり替えたものと判明している( 展示説明文の 「日本軍」 の箇所を 「八路軍」 「国民党」 「共産党」 とあてはめて読むのが正しい )。

 南京30万人虐殺はどの記念館でも 「歴史的事実」 とされ、市民を生き埋めにしたり、中国の青年を的に銃剣練習中の日本軍や、三人の将官が( 人殺しのあとに )日本刀の血をぬぐっている写真が展示されている。
 上に述べた内容は全土に展開された 「反日記念館」 の展示に共通しているが、基本はこの北京の抗日人民戦争記念館の展示内容に準拠しているとみていい。




 南京には有名な 「300000記念館」 ( 正式名称は 「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館」 )が郊外にあって、壁一面に 「忘れるな」 の文字。
 この記念館も 「日本の侵略」 を基調とした改竄歴史展示で貫かれている。
 嘘八百と分かっている 「百人斬り競争」 の東京日々新聞の拡大コピーには 「向井106 VS 野田105」 。
 当時、日本車が使った( と称する )水筒、軍服、軍刀なども展示されている。
 「新しい歴史教科書をつくる会」 など日本の正しい史観を主張した藤岡信勝、高池勝彦( 弁護士 )、永野茂門( 法務大臣当時 「南京大虐殺はなかった」 と発言 )らの大きな写真パネルが犯罪者のごとく並べられている。
 虐殺の証拠がないので中国人 「証言者」 の写真を並べ、さらには東京裁判での南京大虐殺の証言者マギー牧師とラーベの銅像もある。
 無辜むこの中国人を機関銃で殺戮したという日本軍の虐殺場面は、まるで証拠がないため 「想像図」 として絵画が壁一面を飾っている。 戦争中の排日政治謀略ビラの延長というしかない。
 あまり人が来ないので2004年から入場料を無料とし、小中学生の遠足コースに指定した。 南京記念館の特徴は、内部の展示室の照明を故意に暗くして日本車の印象を甚だ悪くしていることだ。
 東中野修道氏らが編纂した 『南京事件 証拠写真を検証する』 ( 草思社 )はこれらがまったくの嘘である事実を証明した。 この本は 「南京大虐殺」 があったと騒いだ連中が 「証拠写真」 とした写真143枚を特定し克明に検証したもので、東中野教授らは 「証拠として通用する写真は1枚もなかった」 という調査結果を発表した。
 これに対し中国は 何一つ反論できないのに展示はそのまま である。




 御三家 「反日記念館」 の三つ目は、遼寧省瀋陽の町はずれにポツンと建つ 「918事変博物館」 だ。
 メインの建造物はコンクリートの固まりがひしゃげた醜悪な形をしており、大きく 「918」 の数字。 入り口の揮毫は、かの反日家、江沢民前国家主席による。
 日本の満州経営の解説は実態から遠い。 おざなりの図式でしか分析されておらず 「帝国主義の植民地経営」 で、 「満州から資源を強奪した」 とだけある。
 展示内容は他の二館と大同小異。 日本を徹底的に悪とするものである。 まさか、日本人が見に来ることはあるまいとばかり、言いたい放題、歪め放題の展示なのだ。
 ハルビンの郊外には731部隊の記念館( 正式には 「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」 )が部隊跡地に煙突の残骸などと一緒に残っている。
 731の主任務は衛生状態が最悪だった中国の防疫で、実際に化学兵器、毒ガス兵器をつかったのは中国軍だった。
 日本の費用でこれから処理される吉林省ハルハ嶺の毒ガス兵器なるもの( 中国側は日本軍が 「遺棄」 したと言い張っている )は、ほとんどがソ連および中国製である。

 細菌兵器開発をしていた証拠、人体実験の跡など物的証拠が残っていないため、想像で作った蝋人形による展示と、 「元日本軍兵士」 の 「証言」 のパネル写真が並んでいるだけ。
 売店には森村誠一の 『悪魔の飽食』 が、まだ飾られていた。
 中国のこの手の展示館のデタラメ振りは、日本との戦争に関するものとは限らない。
 丹東の 「抗美援朝記念館」 は朝鮮戦争歴史館だというのに展示の内容は反米色が希薄で、ここでも 「反日」 が基調となっている。 基本的に中国人には反米感情が希薄なせいかも知れない。
 朝鮮戦争はスターーリンの命令で毛沢東は百万人の人民解放軍を派遣したが、説明を読むと、 「米軍の侵略」 となっており、しかも苦戦した米軍は化学兵器を使ったと地図入りの説明がある。 そんな事実はないので、NYタイムズなどは歴史改竄に強い批判を浴びせている。




 中国各地の展示館を見ればわかるように、詐欺と騙しと政治プロパガンダの天才が中国共産党だ。
 もともと中国の政治は孫子がいうように 「騙した方が勝ち、騙された方が負け」 という弱肉強食の世界なのである。
 抗日戦争で、共産党から徹底的に騙されたのは蒋介石だった。
 中国共産党は実際に抗日戦争をたたかっていた国民軍を背後から襲い、蒋介石の軍事力を弱めることばかりに熱中。 果ては日本車の謀略機関と秘密裏に提携して、蒋介石の機密を売り、背後から国民党をやっつける謀略に加担していた。
 この毛沢東と日本車の情報機関との関係は、最近中国人の歴史家からも指摘され始めている。
 抗日戦争で毛沢東率いる共産党ゲリラ組織は、貴州から延安へと奥地に逃げてばかりの“逃避行”が、いつのまにか 「大長征」 となり、日本の輜重隊を襲ったゲリラ戦争のたまたまの勝利を 「日本に勝った、勝った」 といまだに誇大宣伝。
 中国共産党は日本とはまともに戦わなかった。 いや、もし日本と戦っていたらたちまち殲滅されていただろう。
 謝幼田著・坂井臣之功訳の 『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』 ( 草思社 )によれば、
「918( 柳條湖事件 )が起こるや、ソ連と中共は直ちに抗日を煽った」
「中共の組織活動はソ連の直接指導を受け、全世界の共産党員と同様、ソ連を彼ら( プロレタリアート )の祖国とした。 これは中国人の基本的利益と相容れないものである」
「毛沢東は 『兵力を分散させるべきで、集中した戦闘を主としてはならない』 と直接命令した。 毛が抗戦の為に山西省入りした兵力を温存しているとき、国軍十万人前後が死傷している。 毛は八路軍を開戦前に安全地帯に移動させていた」
 彼らのやり方は 「まさに、小規模な戦闘を行って大々的に宣伝するという」 スタイルだったと謝はあますところなく暴露している。
 中国共産党は平型関の戦闘を“大勝利”と宣伝し、従来、 「日本軍を1万人殲滅」 と言ってきた。
 しかし1983年に出た朱徳全集では 「日本軍精鋭の板垣師団第21旅団千人あまりを殲滅し、大量の軍用物資を捕獲した」 と、こっそり、1万が1千と改正されていた。
「大量の軍用物資」 とあるように精鋭軍ではなく輜重部隊であって、プロの戦闘員は日本側にほとんど居なかった。 その弱い部隊を隘路あいろに誘い込んで挟み撃ちしただけの作戦だった。
 この8月末に北京の 「軍事博物館」 へ行って、改めて確認したが、この個所の数字も1千名とこっそり直されていた。
 「百団会戦」 もしかり、 「中條山作戦」 もしかりだ。
 彭徳懐も周恩来も毛沢東も中條山作戦で中国軍は日本軍と戦ったと勇ましいことを述べているが、謝幼田が綿密に調べた結果、 「八路軍は( 戦闘に )まったく参戦しなかった。 ( 中略 )中共の元帥、将領たちの抗日回想録をひっくり返してみても、参戦の形跡は何一つ見あたらない」 と驚くべき歴史の真実を明らかにしている。
 これまで紹介したように、中国各地の抗日記念館の偏向、デタラメ加減はほとんどが“創作”の類である。
 しかし、嘘も百遍言い続ければ真実になる。
 中国のデタラメかつ大規模な抗日展示に対しては、日本政府としてもきちんと抗議していくべきではないか。





  


 「見たら、誰もが日本人を嫌いになる」 。
 そう言われるほど旧日本軍の残虐ぶりを喧伝する 南京大虐殺記念館( 南京市 )が、二人の日本人に 「特別貢献賞」 なるものを授与した。 いったい誰がどんな 「貢献」 をしたのかと思ったら、やっぱりあの人たちの、あの業績だった。
 その 「特別貢献賞」 の授与式があったのは、9月24日のこと。 この日、同賞を受賞した8人の中に、中国人の運動家らに混じって名前を連ねたのが、日本人の 本多勝一故・ほら富雄 である。
 言うまでもなく本多といえば元朝日新聞記者にして 「南京大虐殺」 を広く世に知らしめた 『中国の旅』 や 『南京への道』 の著者である。 また、洞富雄は早稲田大学の元教授で虐殺肯定派の象徴的な存在だ。
 ジャーナリストの水間政憲氏がいう。
「日本人で虐殺を肯定する人がいますが、洞はそうした人たちの頂点に位置する人物です。 洞は本多も参加する 『南京事件調査研究会』 の代表を務め、1982年に 『南京大虐殺 決定版』 という学術書を出しています。 “南京大虐殺”の言葉が定着したのはこの本によってといっても差し支えありません」
 また、本多の 『中国の旅』 はあまりに有名だが、百人斬り事件などの描写で登場する中国人の証言がいい加減すぎる、と苦情が寄せられたことがあった。
「そこで、本多が次に書いた 『南京への道』 では洞の著書に沿った内容の証言が多く載せられています」 ( 水間氏 )
 こんな二人だから仲良く表彰されるのも当然で、記念館を訪れたこともある評論家の宮崎正弘氏によれば、館内には本多の著作が4冊と洞の著作が1冊、飾ってあるのだどいう。



 それにしてもこの 「特別貢献賞」 、今まで本多らに授与されなかつたのが不思議なくらいだが、
「いえ、この時期に表彰されたのは、偶然ではありません」
 そう言うのは中国在住のジャーナリストだ。
「中国では9月1日から映画 『東京裁判』 が公開されていますが、これは、主に南京事件を取り上げたものです。 映画には日本人俳優が出演して中国で話題になっており、二人の日本人の受賞も映画の宣伝に大いに利用されたのです」
 また、来年は中国では南京陥落70周年にあたり、これに合わせるようにアイリス・チャン原作の映画 『ザ・レイプ・オブ・南京』 がクランク・インするともいわれている。
「同時に虐殺記念館も建物を大増設中ですが、残虐肯定派の日本人はリニューアルに向けてのいいプロパガンダなんですよ」 ( 同 )
 前出の宮崎正弘氏も言う。
「今回、本多らが表彰されたのは、東京高裁で“百人斬り裁判”が勝訴となり( 遺族側の控訴を棄却 )、記念館としてはそれを後押しする意味合いもあるのではないでしょうか」
 授与式では、受賞者に大きなメダルと楯が授与されたというが、そこには虐殺記念館の外観や30万人の受難者の記録が刻まれているのだとか。
 そんなものをもらって嬉しい日本人は、あんまりいないのではないか。





中国人からの忠告
 そもそも第二次大戦中には、日本軍の一員としてアジア諸国を侵略した韓国には、日本の靖国参拝を抗議する資格はないのではないか?
 韓国はむしろ、我々に謝罪すべき立場だ。
( 2007.2.2 駐日中国大使館:一等書記官 黄務知 )