靖国神社諸問題の基礎知識

一、いわゆる 「戦犯」 とは何か
 ( 1 )戦後、連合軍が日本占領中の極東国際軍事裁判( 勝者による国際法違反の復讐政治ショウに過ぎない )において、戦争犯罪者と決め付けられた人々のことをいう。
 ( 2 )A級、B級、C級に区分されている。
 ( 3 )日本の法律とはまったく無関係。 従って日本国内には今日まで戦犯など一人も存在しない。

二、いわゆる 「A級戦犯」 の範囲
 ( 1 ) 「A級戦犯分祀」 を唱える輩が居るが、俗論である。 もし絞首刑に処せられた7名だけがA級と考えるなら噴飯物である。
 ( 2 )GHQよりA級に指名され逮捕収監された人は253名。 ( 梨本宮守正王殿下、岸信介商工相などを含む )
 ( 3 )そのうち起訴された人は28名。 当初は26名だったが、ソ連が遅れて参加し重光葵外相と梅津美治郎参謀総長の2名が追加された。
 ( 4 )そのうち発狂した大川周明博士が免訴された。 未決中に獄死した松岡洋右外相、永野修身連合艦隊司令長官の2名を除き、有罪判決を受けた人は25名。
 ( 5 )そのうち服役中に獄死した人は白鳥敏夫駐イタリア大使、東郷茂徳外相、小磯国昭首相( 陸軍大将 )、平沼騏一郎、梅津美治郎の5名。
 ( 6 )有罪判決を受けた25名の内訳
 絞首刑( 7名 )
  東條英機( 首相、陸相、大将 )、板垣征四郎( 陸相、支・総参謀長、大将 )、土肥原賢二( 航空総監、大将 )、松井石根( 中支軍司令官、大将 )、木村兵太郎( 次官、ビルマ軍司令官 )、武藤章( 軍務局長、中将 )、広田弘毅( 首相、外相 )
 終身禁固刑( 16名 )
  荒木貞夫、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、星野直樹、賀屋興宣、木戸幸一、小磯国昭、南次郎、岡敏純、大島浩、佐藤賢了、島田繁太郎、白鳥敏夫、鈴木貞一、梅津美治郎
 禁固刑20年( 1名 )
  東郷茂徳
 禁固刑7年( 1名 )
  重光葵
  【註】重光葵は釈放後、鳩山内閣の副総理兼外相に、また賀屋興宣は法相に入閣している。
 ( 7 )そのうち靖国神社に合祀( 昭和54年4月19日 )されているのは14名である。
  内訳は、絞首刑7名( 東條、板垣、土肥原、松井、木村、武藤、広田 )、未決中獄死2名( 松岡、永野 )、服役中獄死5名( 白鳥、東郷、小磯、平沼、梅津 )。
  【註】サンフランシスコ平和条約第11条に基づき、関係11ヶ国の同意を得て、昭和31年3月31日に佐藤賢了の釈放を以て東京裁判( A級 )事務はすべて終了した。

三、いわゆる 「B級・C級戦犯」 について
 ( 1 )B級・C級戦犯は、東京以外の地方都市または戦場になった国別に、法廷らしき装いで殆どが弁護士なしで決められた。
 ( 2 )逮捕・収監約6700名、死刑1067名( 捏造多し )。
 ( 3 )服役者は昭和33年5月30日までに逐次釈放され、刑死された人はA級同様に法務死( 靖国神社では昭和殉難者という )として靖国神社に合祀されている。

四、昭和殉難者補備
  GHQよりA級に指定されたが、逮捕前に自決された人達も合祀されている。
  【 例 】近衛文麿首相、本庄繁関東軍司令官、杉山元参謀総長、小泉親彦年医師中将( 厚相 )

五、首相の公式参拝関連法規
 極東国際軍事裁判所条例はニュ―ルンベルグ軍事裁判所条例の模倣であり国際法違反。
 法の不遡及( 事後法 )禁止原則に違反。
 罪刑法定主義原則に違反。
 裁判所構成の不公平( 裁判官は勝者側のみ )。 法廷指揮不良( 弁護資料は悉く却下 )。
 サンフランシスコ平和条約第11条( 戦犯赦免手続き )
 Judgementsを日本語で 「裁判」 と訳しているが、英米の法律用語辞典では 「判決」 とすべきであった。
 本条約には中国( 中共、台湾共 )は調印していないので、第25条により発言資格なし。 当時は中国の主権不明のため調印には呼ばれなかった。
 日本国憲法
 第20条( 信教の自由 )
政教分離というほどおおげさなものでない。 津市地鎮祭訴訟及び愛媛県知事に対する最高裁判決でも公式参拝については一切束縛していない。 ( 目的・効果基準 )
 第89条( 公の財産の支出叉は利用の制限 )
玉串料は少額であり昔からの習慣に過ぎないのに異論が出て残念。

六、心情
   祭神は生前の軍隊の階級・社会的地位・功罪などまったく関係なく、すべて平等の 「みたま」 である。 日本古来の伝統は死を以ってすべてが清算される。 いつまでも死者に鞭打つ共産中国 には日本の武士道( 切腹 )はわからない。 戦場体験者は戦闘に向う場合、必ず 「靖国神社でまた会おう!」 と言って別れたものだ。 そして今日まで何十年も靖国社頭で会ってきた。 私も遺族の一人だ。 心なき政治家達 が集まって、どんな立派な施設を別に造ろうと、遺族の方々や戦友達はそんな処へは行かないであろう

七、千鳥ケ淵戦没者墓苑との関係について
   千鳥ケ淵戦没者墓苑に納められている約34万6000余柱( 肉体の一部である遺骨・魄 )は靖国神社に祭られている約246万6000余柱( 精神的なミタマ・魂 )の内数であって、昭和12年7月以降、政府が収集した遺骨のうち、何等かの事情で引き取り手のないもの( いわゆる無縁仏 )が尊重に葬むられている。





 靖国神社は軍国主義の象徴なのか?

 違います。 どこの国でも国のために戦死した人を祀るのは当然のことです。

 国を守るためにまたは国のために戦死した人の慰霊なくして永続的な国の繁栄と発展は ありません。 それは思想や宗教には関係ないものです 戦前の戦死者の慰霊は、たいてい地元の護国神社でやりその後に檀家寺でやり、さらに東京の靖国神社でもまつられた わけです。 それが普通だったのです。 つまり戦前の戦死者のほとんどは靖国神社にまつられることを当然と思っていたのですから、私たちはそれを尊重しなければなりませんし、国の指導者が靖国神社に参拝するのも自然なことです。 戦後の一部の人の思想によって政府や裁判所がそれを勝手に変えてはいけません





 なぜ小泉首相の靖国神社参拝にアジア諸国からきびしい批判の声があがるのか?

 アジア諸国が反対しているというのはいつもの嘘です。 どの国にもいろいろな思想を持った人がいますが、国として靖国神社参拝に反対しているのは、中国と韓国だけです その中韓ニ国が靖国神社参拝に反対するのは、心の底に隣国の日本が繁栄発展することを快く思っていない部分があるからです。 もちろんそういう本音があることを知りつつも中韓ニ国と対立する必要はありません。

 中韓( 北朝鮮も含めると3ヶ国 )以外では、日本の首相が靖国神社に参拝することに反対する国( 米国でも英国でもフランスでもイタリアでもタイでもマレーシアでもインドネシアでも …… )はありません 中国と韓国が日本の首相の靖国神社参拝に反対するのは内政干渉であり、通常では考えられないことです。 ( 例えばベトナムが米国の大統領にアーリントン墓地に行ってはいけないなどとは決して言いません )

 先の大戦で日本と激しく戦った国、例えば英米や中華民国( 台湾 )などにもそういう考えはありません。 当時の韓国は日本の一部として日本と共に戦いました。 また日本と戦ったのは中華民国であって、当時の中華人民共和国( 中共 )は小さな勢力で、日本が中華民国と戦わなければその後の内戦で中華民国を台湾に追い落として中国を統一できませんでした。

 それでは、なぜ現在の中韓の二国が靖国神社に反対するのでしょうか。 それになぜ中韓では若い世代に反日教育をほどこすのでしょうか。 ( 例えば、韓国で一番親日的なのが日本統治時代に大人だった世代であり、一番反日的なのが李承晩政権時代に激しい反日教育を受けた世代です ) また例えば、過去の歴史で朝鮮半島を何回も支配下におき朝鮮戦争でも韓国と戦った中国に対しては、韓国は日本に対するような態度は示しません。 また同じように日本に統治されていた台湾と韓国との意識の差はなんでしょうか。
その理由は単に韓国人の民族性に由来するものでしょうか?

 たぶん、その原因は中華思想か儒教的秩序感覚にあるのかもしれません。 つまり中国が父で韓国が兄で日本が弟というように日本は本来は自分たちの国より下にあるべきなのに、その日本が自分たちより繁栄しているのは許せないという気持ちを持っているからではないかと思われます。 また中国にはODAの継続や外交関係でも日本を制約したいという現実的な外交政策があります。

 中韓二国が靖国神社参拝に反対する理由は、隣国の日本が繁栄発展することを快く思っていない嫉妬の心と、過去のことでも可能な限り言い続けて21世紀も日本を道義的に下におきたい意図と、国民の不満をそらして国内をまとめるために反日教育が必要な面もあります。 そういう本音や必要があるということは知っておくべきです。 だから日本が実際に一回きちんと謝罪すればそれで終りになるということではなく、常に日本が道義的に下でなければ本心からの謝罪がされていないという理屈になります。 しかし、それに過剰反応していいなりになる必要はありません。

【 参考 】靖国神社とは

 靖国神社は東京都千代田区九段にあり、最寄の駅はJR飯田橋駅か市ケ谷駅か地下鉄の九段下駅です。 明治2年に東京招魂社として創建され、明治12年に靖国神社に改名されました。 幕末から大東亞戦争までの軍人や軍属の戦没者の247万人が本殿にまつられていてます。

 靖国神社には専任の神職が潔斎( 心身ともに清める神事 )を行った後、衣服を改め( 白衣白袴口にはマスク )で一字一句間違いの無きよう、全身全霊を込めて書き記した霊璽簿があるだけで位牌やお骨はありません。

 また境内にある鎮霊社には本殿でまつられていないすべての日本人戦没者と世界中の戦没者がまつられています。 白虎隊や西郷隆盛もここに祭られています。 また、軍馬・軍用犬・軍用鳩の慰霊碑もあります。 拝殿や本殿以外には、日本最大級の鳥居や日本で最初の西洋式銅像の大村益次郎銅像や能楽堂や茶室があります。

 境内にある遊就館には零戦や彗星などの軍用機や大砲やC56機関車や、西南戦争から大東亞戦争までの兵器などが展示されています。 軍人などの写真や遺品や遺書なども多く展示されています。 またニュース映像の放映やビデオライブラリーのコーナーがあり資料の閲覧ができます。 1Fの売店や喫茶店には、海軍コ-ヒーや海軍カレーといった当時のメニューがあります。 遊就館のとなりの靖国会館には戦史や戦記関係の図書館や無料の休憩所もあります。





 昭和60年8月15日 に中曽根康弘首相が靖国神社に初めて公式参拝した時にアジア諸国から猛反発を受けたので、翌年から参拝をとりやめ、その後の歴代首相も参拝を控えたというのは本当か?

 何回も言いますが、まずアジア諸国というのはいつもの嘘であり、参拝に反対する国は中韓の二国です。 中曽根首相の昭和58年と59年の参拝の時は何も問題になりませんでした。 しかし、例によって朝日新聞や左翼勢力の反対が中国側に火をつけた形で、中国が昭和60年の中曽根首相の参拝の時から興味を示し始め、ついに中国は参拝の取り止めを要請しました。

 それではなぜ中曽根首相は、中国の要請によって参拝をとりやめたのでしょうか。 中曽根首相本人の証言によると、自分の靖国参拝問題が、中国国内の政争で胡耀邦総書記の進退に影響が出そうだという暗示を受け取り、 「胡耀邦さんと私とは非常に仲が良かった。」 「それで胡耀邦さんを守らなければいけないと思った。」 から参拝をやめたそうです。 ( 「私が靖国神社公式参拝を断念した理由」 正論 平成13年9月号 )。 しかし、この中曽根首相の判断は、それによって中国国内に本当の親日派を作ることにもつながらず、逆に 中国側に内政干渉の前例を許すことになった間違った判断だった

【 参考 】戦後の首相の靖国神社参拝記録

昭和20年 8月18日 東久邇宮稔彦王
昭和20年10月23日 幣原喜重郎
昭和20年11月20日 幣原喜重郎
昭和26年10月18日 吉田茂
昭和27年10月17日 吉田茂
昭和28年 4月23日 吉田茂
昭和29年 4月24日 吉田茂
昭和32年 4月25日 岸信介
昭和33年10月21日 岸信介
昭和35年10月18日 池田勇人
昭和36年 6月18日 池田勇人
昭和36年11月15日 池田勇人
昭和37年11月04日 池田勇人
昭和38年 9月22日 池田勇人
昭和40年 4月21日 佐藤栄作
昭和41年 4月21日 佐藤栄作
昭和42年 4月22日 佐藤栄作
昭和43年 4月23日 佐藤栄作
昭和44年 4月22日 佐藤栄作
昭和44年10月18日 佐藤栄作
昭和45年 4月22日 佐藤栄作
昭和45年10月17日 佐藤栄作
昭和46年 4月22日 佐藤栄作
昭和46年10月19日 佐藤栄作
昭和47年 4月22日 佐藤栄作
昭和47年 7月08日 田中角栄
昭和48年 4月23日 田中角栄
昭和48年10月18日 田中角栄
昭和49年 4月23日 田中角栄
昭和49年10月19日 田中角栄
昭和50年 4月22日 三木武夫
昭和50年 8月15日 三木武夫
昭和51年10月18日 三木武夫
昭和52年 4月21日 福田赳夫
昭和53年 4月21日 福田赳夫
昭和53年 8月15日 福田赳夫
昭和53年10月18日 福田赳夫
昭和54年 4月21日 大平正芳
昭和54年10月18日 大平正芳
昭和55年 4月21日 大平正芳
昭和55年 8月15日 鈴木善幸
昭和55年10月18日 鈴木善幸
昭和56年 4月21日 鈴木善幸
昭和56年 8月15日 鈴木善幸
昭和56年10月17日 鈴木善幸
昭和57年 4月21日 鈴木善幸
昭和57年 8月15日 鈴木善幸
昭和57年10月18日 鈴木善幸
昭和58年 4月21日 中曽根康弘
昭和58年 8月15日 中曽根康弘
昭和58年10月18日 中曽根康弘
昭和59年 1月05日 中曽根康弘
昭和59年 4月21日 中曽根康弘
昭和59年 8月15日 中曽根康弘
昭和59年10月18日 中曽根康弘
昭和60年 1月21日 中曽根康弘
昭和60年 4月22日 中曽根康弘
昭和60年 8月15日 中曽根康弘
平成08年 7月29日 橋本龍太郎
平成13年 8月13日 小泉純一郎
平成14年 4月21日 小泉純一郎
平成14年 1月14日 小泉純一郎

 戦後数十年の間は、靖国神社参拝は特に問題はありませんでした。 また、靖国神社では春と秋の例大祭が重要であり参拝もその時が普通でした。 昭和54年から3回参拝した大平正芳首相は敬虔なカトリック信徒です。 8月15日に参拝したのは昭和50年の三木首相が始めてで、三木首相がこの時に 「私的参拝だ」 という発言をしたので、それ以後に 「私的か公的か」 ということが論争されるようになりました。 そして、首相の参拝が大問題になったのは昭和60年の中曽根首相の参拝の時からです。





A級戦犯をまつっている靖国神社を参拝することはいけないことなのか?

A級戦犯を含むすべての戦犯は、サンフランシスコ講和条約第11条にもとづき関係11ヶ国の同意を得て免責されています。 また国内法でもすべての戦犯はすでに復権しています。 だから、靖国神社に合祀されている( 祀られている )人の中にA級戦犯が混じっていたとしてもなんら問題はありません。

 大東亞戦争の戦勝国は、東京裁判で28人の被告を 「平和に対する罪」 で起訴しましたが、戦勝国は彼らをA級戦犯と呼びました。 東京裁判は個人を裁いたものであり、弁護人もそれら個人の弁護人です。 その東京裁判では死亡などで免訴になった3人を除く25人全員が有罪となり、東条首相や広田首相たち7人が絞首刑になり、平沼騏一郎元首相ら18人が終身禁固刑などに処せられました。 そして死刑の7名と受刑中に死んだ5名と判決前に死んだ2名の14名が靖国神社にまつられています。

 もちろん戦争で負けなければA級戦犯というものは存在しません。 もし戦争を起したこと自体が罪ならば、ベトナム戦争でもイラク戦争でも米国政府や米軍の首脳たちはA級戦犯です。 また、戦勝国側は捕虜虐待などの普通の戦争犯罪の命令者をB級とし、その実行者をC級とし、それらの被告をBC級戦犯と呼びました。 復讐裁判や冤罪も多くありましたが、法的に普遍的な意味での戦争犯罪人とは捕虜虐待などの罪のBC級戦犯です。 もっとも戦勝国のBC級戦犯が裁かれることはありません。

 昭和27年に日本が独立すると、戦犯釈放運動が全国に広まり、当時の成人のほとんどいってもよいくらいの四千万人もの署名が集りました。 そして昭和28年に戦犯の赦免に関する決議が国会で、社会党や共産党まで含めて一人の反対もなく決議されました。
そして国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条にもとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は昭和31年に、BC級戦犯は昭和33年までに赦免し釈放しました。
そのため例えば、A級戦犯のうち重光外相と賀屋蔵相は絞首刑になってなく終身禁固刑などの刑だったので、復権した後には副首相や法相になっています。

 また国内的には昭和27年のサンフランシスコ平和条約の翌年には 「戦傷病者戦没者遺族等援護法」 が改正され戦争裁判による死亡者も適用対象者として認められ、遺族にも一般戦没者と同様に遺族年金および弔慰金が支給されることになりました。 恩給について、昭和29年の恩給法改正によって、拘禁中獄死または刑死した者の遺族は一般戦没者の遺族と同じ処遇を受け、戦争裁判受刑者本人に対する恩給も昭和30年改正によって拘禁期間を在職期間に通算し、さらに拘禁中の負傷または疾病を在職中の負傷または疾病として支給されるようになりました。 こような一連の法改正により、戦争裁判による死亡者や拘禁中の傷病者は、一般の戦没者や傷病者と同じ取り扱いとなり、国はA級やB・C級を問わず戦争裁判による死亡者を一般戦没者と同様の戦争による公務死と認定しています。

 このように現在では法的には国内でも国際的にも戦犯の意味はなくなりました。 ただ、旧A級戦犯は国内問題としては結果的に国を敗戦に導いた指導者としての責任はあります。 その旧A級戦犯の靖国神社合祀は崇敬者総代会で可決されましたが、国会で靖国神社法案が長く審議されていたので合祀は延期されていました。 しかし再度の崇敬者総代会で審議し承認され昭和53年の秋の例大祭で堂々と合祀されました。 旧BC級戦犯は同様な方法でもっと早く昭和34年の春の例大祭で合祀されました。 もちろん合祀された後は各種の慰霊に関しても旧ABC級などという区別も一般戦死者との区別もないことは言うまでもありません。

 もちろん、毎年8月15日に行なわれる政府主催の全国戦没者追悼式の中にも当然に旧ABC級戦犯も含まれています。 また、中国に遠慮して旧A級戦犯だけ靖国神社から除けばいいということでもありません。 なぜなら、中国は旧A級戦犯の合祀のためだけに靖国神社に反対しているのではなく、旧BC級戦犯が祭られていることも問題にするようになっていることが最近の中国共産党の機関紙の 「人民日報」 などからわかるからです。


【 参考 】

 20世紀は戦争の世紀でした。 日本も清帝国、ロシア帝国・アメリカ合衆国という巨大な国と戦って、その結果は二勝一敗でした。

 未来には世界政府のようなものができて地球上から戦争がなくなるかもしれません。 しかし、現実には国と国との利害の衝突から戦争になることはいつの時代のどこの国でも、また今後もありうることです。 そして現代の日本人の感覚からは認めがたいことですが、政治体制や宗教や生活方式や主張の優劣は、議論でなく総合力である戦争で決着がついてきたのです。 そして負けた国や集団は滅ぼされなければ、勝った国の体制の良いところを真似をしたりします。 それが今までの地球の歴史でした。

 特に18世紀の西欧の産業化革命以降は、一部の西欧先進国が近代文明と近代兵器で世界中を植民地にしました。 アジアやアフリカはほとんどが植民地になりました。 人種差別はあたりまえのことで、有色人種は同じ人間とは見られていませんでした。 そういう時代にアジアの片隅に日本という有色人種の新興国が勃興したのです。 ついこの前まで、ちょんまげを結って帯刀していた人たちが、近代的な国家をつくり近代兵器を作りだしたのです。 今まで有色人種がそんなことができるとは考えられていませんでした。

その日本が日露戦争でロシアを破り( 初めて有色人種の国が近代戦争に勝てるということを示しました )、次に大東亞戦争で東南アジアの植民地で西欧の軍隊を追出したり戦ったり( インドネシアでオランダ軍を、マレーシアやビルマやインドで英軍を、フイリッピンで米軍を、ベトナムでフランス軍を・・・ )したことは普通の戦争という意味の他に、地球の歴史の転換という意味もありました。 このころの東南アジアで唯一の独立国はタイだけで、日本の同盟国でした。 日本は負けましたが、戦後に西欧諸国が再びそれらの国に軍隊を送り植民地にもどそうとしましたが、失敗しました。 ( もちろん独立した国が、西欧諸国に対してその戦いで戦死した軍人を慰霊してはいけないなどと主張することはありません )

 20世紀は戦争の世紀であり日本の20世紀もいくつかの戦争を経験しました。 しかし、もし日本という国がなければ現在の世界はまだ人種差別は続いているし、植民地支配も続いていることでしょう。 極東に突然変異のように日本という有色人種の国が勃興したのは世界史上は意義のあることでした。 そしてアジアの人々も日本を見て自分たちも西欧の軍隊に勝てるかもしれないことと、西欧科学文明をとりいれることができることを知りました。 今では多くの国が独立し国連に百数十ヶ国が加盟しています。






 首相の靖国神社参拝は憲法20条の政教分離の原則に反するのか?

 首相が靖国神社に参拝しても政教分離には反しませんし、戦死者に対して慰霊することは宗教的意味合いがありますが、現時点の判例でも玉串料として公金を支出しなければ憲法違反になりません。

 日本國憲法20条は国や公共団体などの宗教的活動を禁止しています。 それは個人の信教の自由を保証するために国が特定の宗教を有利に扱ったり、また宗教を政治に介入させないためです。 しかし、公共団体が宗教に一切関係してはならないというのは、政教分離というより反宗教主義です。

 また、法律的に政教分離の問題を考えると、具体的にどういう行為が憲法20条に反するかという基準はあいまいです。 なぜなら、現時点の社会も歴史や伝統の流れのなかにあるのであり、100%の厳密な政教分離は不可能であるし、かえっておかしなことが生じるからです。

 例えば、政教分離を厳密に解釈すると、憲法第1条( 天皇の地位 )と憲法第20条( 政教分離の原則 )のように憲法自体がお互いに矛盾します。 なぜなら天皇と神道を完全に分離することはできないからです。 天皇陛下の即位の礼や大嘗祭だけでなくほとんどの儀式への公費支出が違憲になります。 また、例えば米国のカーター大統領やレーガン大統領やブッシュ大統領のように外国の首脳が来日して明治神宮に参拝した時に、同伴した日本の首相は神社の外で待っていなければならないということにもなります。 ( もちろん米国大統領はキリスト教徒ですが、明治神宮を参拝することに矛盾はありません。
また、それが米国では政教分離に反するなどと議論されたり、私的参拝や公的参拝という法律論を展開する必要もありません )

 日本でも大学から幼稚園まで宗教的精神で運営されている学校が数多くあります。 それらに公的機関や公務員はかかわれなくなったり公金の支出( 補助金や助成金 )などもすべて禁止しなければならなくなります。 誰が考えてもそういう政策は現実的ではありませんし、宗教団体が母体の学校だけを差別することになります。

 もともと政教分離というのは米国からの輸入の考え方です。 しかし、その米国でも大統領就任式なども牧師が立ち会い聖書に手をおいて宣誓します。 欧米の先進国でも公的なものからなんらかの宗教的行事や色彩というのものを総て消滅させることはできません。 例えば米軍には従軍神父や牧師というのありますが、政教分離の原則で問題になったりしません。

 日本でも例えば水沢市では毎年5月にキリシタン大名後藤寿庵( 郷土開拓の恩人 )を祭った廟では祈願ミサが行なわれ、市長や土地改良区理事長などが参列します。 また東京都では春秋の年二回に東京都慰霊堂では仏式慰霊大法要がおこなわれ、知事や都議会議長、区長、区議会議長らが参列します。 姫路市には有名な仏舎利塔がある市の公園があったり、長崎市の公園には殉教二六聖人の碑があり公費で管理されています。 熊本県本土市の 「天草殉教祭」 はカトリックミサやキャンドル行進が主ですが、市費でおこなわれ市長や市議会議長が参列します。 もし政教分離を厳密に解釈するならこれらはすべて違法になります。

 また日本の首相が原水爆禁止大会に出席しようとする時に、もし主催者側に宗教団体があれば問題が生じますが、逆に主催者側が無神論を前提とする共産党などの政党ならいいということになります。 それではまるで宗教というのは悪であり、無神論を勧めているみたいになってしまいます。

 現実にも、首相の伊勢神宮参拝は念頭の恒例行事となっており、社会党の村山首相も堂々と正式参拝しています。 しかし、これはそんなに大きく問題にされることはありません。 もし純粋に政教分離というだけの問題なら、この伊勢神宮参拝の方が明白に政教分離に反しています。 また靖国神社の場合は戦後に宗教法人になったのですが、もし戦死者の慰霊のための特殊な財団法人にでもなっていれば何ら問題にならなかったのでしょうか。

 そうではなく靖国神社参拝問題は政治や歴史認識の問題であり、それに対する一つの攻撃方法として憲法20条の政教分離が使われているのです。 しかし、政教分離といっても、社会の伝統や国民の生活常識を破壊するものではあってはなりません。 首相の靖国神社参拝が政教分離の点から法的に疑問があったとしても、それは宗教団体に公金を出さない点に注意して参拝すればいいのです。 実際に毎年閣僚や百数十人の国会議員が靖国神社に参拝しています。 国があるかぎり、戦死者に対して慰霊し顕彰するのは当然のことです。

 しかも、戦前は、戦死者のおまつりは、たいてい地元の護国神社でやりその後に檀家寺でやりました。 そして東京の靖国神社でもまつられるわけです。 それが普通だったわけです。 戦前のほとんどの人は死者も生者も含めて靖国神社にまつられることを当然と思っていたのですから、私たちはそれを尊重しなければなりません。 だからそれらの戦死者の慰霊をするなら、やはり首相は靖国神社に参拝しなければなりません。 戦後になってからは、教育やマスコミで靖国神社は軍国主義の代名詞みたいに教えられているので、今後もし戦死者がでたら彼らの意識は違うと思いますから、その慰霊のために別のものを創ってもいいかもしれません。 しかし明治維新から先の大戦までの戦死者の慰霊は、戦後の人間の思想で勝手に変えてはいけません。

 また、現在の日本的な政教分離の考えからは私的参拝か公的参拝かということが問題になってきます。 しかし、もし首相の靖国神社参拝が私的参拝であるとするなら、どのような立場をとっても法的には政教分離には関係なくなります。 例えば米国の大統領であっても教会には通いますし、その時にも公用車を使ったりシークレットサービスは必ずつきます。 だから、例えばカトリック信者の首相であれば毎週教会に通ってもいい
し、仏教では例えば土・日曜日にお寺で座禅を組んでもいいし、また毎朝、近所の氏神様に参拝してから官邸に通勤してもよいのです。

 しかし、首相が毎朝自宅近くの神社に参拝してから官邸に出勤するのが問題にならなくても、毎朝靖国神社に参拝してから出勤すれば大問題になります。 それは何回も述べたように首相の靖国神社参拝は純粋な政教分離の法律問題というよりも、政治や歴史認識や中韓との外交・宣伝の問題だからです。 もちろんすべての首相に靖国神社参拝を義務付けることはできないと思います。 しかし、世論調査でも国民の多くは首相の参拝を望んでおり、かつ首相自身もぜひ参拝したい気持が強いのに、それを少数者が自分たちの思想のために政教分離の原則などを持ち出して、なんとかして阻止しようとするのは横暴です。

 繰り返しますが、戦死者の慰霊のために首相が靖国神社に私的に参拝することはもちろん、公的に参拝することも宗教的な意味の行為ですが、政教分離の原則と矛盾するようなものではありません。 しかも公的とか私的参拝というのも日本の政教分離思想に対応するための法技術的な言い方にすぎず、実際は首相の靖国神社参拝に公的とか私的とかと言うこと自体がおかしいのです。

 また慰霊するということは本質的に宗教的行為であって、もしいっさいの宗教色を払拭した慰霊というものをおこなうとすれば、それは死者に対する非礼です。 現実に8月15日をとっても宗教色の薄い千鳥ヶ淵墓苑には数えるほどしか人がいません。 しかし、同じ頃の靖国神社には参拝客の列が延々と続いています。 人々が強制されたのではありません。 強制どころか、逆に靖国神社参拝は戦後の社会風潮やマスコミの主流の論調や受けてきた教育からは否定的な評価をされてきているのに自然にそうなるのです。

 これは完全に宗教色を払拭した新たな国立慰霊施設を作ってそちらで公的行事をやっても、靖国神社をつぶさない限りは同じだと思います。 なぜなら、近親者や戦友が祭られている場合もそうでない場合も、戦死者を慰霊したり参拝する人の多くは儀礼的政治的に単に建物を参拝しているのではなく、心の奥底になんらかの死者に対する宗教的感覚があるからです。 慰霊の本質とはそういうものです。

 靖国神社だけを特別扱いするものではなく、明治維新以来の戦死者の慰霊が歴史的にもし東大寺でおこなれていたりある教会で行なわれてきたのであれば、首相が慰霊のためにまた慰霊式に参列するために東大寺に参拝してもある教会のミサに参列しても問題にしてはいけません。 この意味での戦死者の慰霊は政教分離とは関係ありません。 首相の靖国神社参拝が政教分離に反すると主張するのは、ためにする議論です。



【 参考 】
政教分離の代表的な判例は下記のようなものがあります。

「昭和52年の津地鎮祭訴訟」 ……… 三重県津市が神道式の地鎮祭をやってもかまわない
「昭和63年の自衛隊合祀拒否訴訟」 ……… 妻の反対があっても自衛官を護国神社に合祀してもよい
「平成4年の大阪市地蔵訴訟」 ……… 大阪市が地蔵の建立移設のために土地を無償譲渡してもよい
「平成5年の箕面市忠魂碑移転慰霊祭訴訟」 ……… 箕面市が忠魂碑移転に公費を出したり慰霊祭に出席してもよい
「平成6年の八街町仏式町民葬訴訟」 ……… 元町長の町民葬を遺族の要望で仏式でやってよい
「平成9年の愛媛玉串料訴訟」 ……… 愛媛県が靖国神社にお金を出すのはいけない
「平成11年の箕面市遺族会補助金訴訟」 ……… 遺族会( 仏式や神式によって慰霊祭をやったり靖国神社に参拝したりする )に補助金を出したり公務員がかかわってもよい

過去の判例では国や公共団体の行為が違憲とされる基準は曖昧で、判例が示されるたびに問題となります。 何度も述べたように完全な政教分離は現実にはできないので、そういう場合の判決は、この事例は宗教ではなく習俗であるとかこの事例は特定の宗教を有利に扱うためのものできないというような理由づけがされます。 また訴訟になるのは、ほとんどが神道に対するもので、訴える人は市民運動家や一部のキリスト教や特定のある仏教宗派の人たちが常連です。 彼らはたいていの場合、政教分離という法律問題を道具にして、歴史認識や宗教対立や別の問題を目的にしているわけです。

【 参考 】
もし政教分離を厳密に解釈すると下記のような事例のすべてが違憲になりますし、それでは政教分離というよりも反宗教的態度に近いといえるのです。 ( 事例は 『続・実例に学ぶ 「政教分離」』 を参考にしました )

皇室関係の儀式や伝統行事に公金を支出すること。

純粋な宗教施設に税金を課さないこと。

公立学校では、武道場に神棚があること。 神輿やお盆やお墓参りや祭りなどの行事を授業で扱うこと。
修学旅行で座禅体験や伊勢神宮に行くこと。 公立学校で給食を食べる前に合掌をやることなど。

市町村では、寺院の仏像や宝物の特別公開や教会主宰の慈善バザーなどの案内を広報誌や公共の観光案内に掲載すること。
忠魂碑の維持管理をすること。 神社の境内にある市の公衆便所を改修費を公費で出すこと。 例えば、三河湾の観光地の竹島( 神社の所有で神域 )に渡る橋を公費で架け替えること。 例えば山口市の焼失したカトリック教会( 昭和27年建築 )の復元募金に県や市が協力すること。 北海道の古平町の火災で焼失した神輿渡御行列の備品に町の補助金が支出されたこと。 県立博物館のしめ縄( 正式には神道系の祭具 )教室の開催。 公園に仏舎利塔や宗教関係の像やモニュメントがあること。

伝統行事では、献穀祭や田植祭や抜穂の儀に公務員が参列すること。 鎮守の村の神社の修復に公費を出すこと。
村の神社でおこなわれる神楽やまつりに公的機関がかかわったり神楽殿の修理に補助金を出すこと。

イベントでは
徳島県の博覧会のハビリオンの中に 「お砂踏み」 を設置すること。 長野オリンピックの開会式で善光寺の鐘や諏訪大社の建御柱が採用すること。 オリンピック選手村の宗教センターを事実上キリスト教が独占しセンター内に県がチャペルを建てたこと。 お年玉年賀葉書に幣束のついた獅子頭と四手のついた熊手のデザインをすること。 長崎市内の神社での交通安全祈願祭に県警の職員が参列すること。 長崎市のカトリック教会で営まれた交通安全祈願ミサで、ミサ終了後に祝別されたキーホルダーが警察職員に贈られたこと。

老人ホームでは
私立の老人ホームに僧侶を嘱託職員として採用し精神的ケアを行なうこと。 町有地にある養護老人ホームの庭に観音像があること

【 もっと良く調べるために  参考文献 】

『 靖国神社一問一答 』 石原藤夫 展転社
『 靖国神社への呪縛を解く 』 大原康男 小学館文庫
『 靖国と日本人の心 』 正論8月臨時増刊号
『 靖国神社遊就館の世界 』 産経新聞社
『 ようこそ靖国神社へ 』 所功( 編 ) 靖国神社( 監修 ) 近代出版社
『 実例に学ぶ 「政教分離」 』政教関係を正す会 展転社
『 続・実例に学ぶ 「政教分離」 』 〃        〃