靖国参拝をさせてはならぬ者たち

 8月10日に総理大臣菅直人氏は、日韓併合条約締結百年の節目の年であるとして、 「植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします」 との総理大臣談話を閣議を経て発表した。
 この 「痛切な反省と心からのお詫び」 は、談話が言うところでは、 「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。 歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います」 との菅氏の認識に基づく。
 さらに同日、菅総理と全閣僚は、8月15日の終戦の日に靖国神社に参拝しないことを申し合わせ、その旨表明した。
 よって、この事態を受けて本稿を書こうとするのであるが、それはわが国再興のために死活的に重要な 「歴史の回復」 という課題のためである。 祖国への愛を持たず、それゆえ祖国の歩んだ歴史も知らない者が、総理大臣の地位にあることを奇貨として発した片々たる談話に付き合って、私の時間と諸兄姉の読む時間を浪費するためではない。
 本稿は8月15日の後に読者の目に触れる。
 したがって、まず指摘しておきたい。 菅総理と全閣僚が、8月15日に靖国神社に参拝しなかったのは、真によかった、と。 第一、このような者たちが総理でござい、閣僚でございと、靖国神社に参拝することは汚らわしいではないか。
 靖国神社は、祖国のために戦い散華された英霊を祀る崇高な神社である。 その英霊を辱める者が参拝するところではない。
 また、明らかにこういう者には参拝させてはならないと思われる者を次に例示しておく。
 菅内閣の千葉法務大臣は、死刑には反対だが死刑を見ておく必要があるという理由で、二人の死刑執行を命じた上でその 「死刑を見学」 した人物である。 二人の死刑囚は、罪を償うためではなくこの者が見学するために死刑を執行されたのだ。
 つまり、この者は法務大臣の職務によるのではなく、人が殺されるところを見たいという恣意により死刑執行を命じたのだ。 実に即物的で唯物的で冷酷で嫌な心情の持ち主である。 そして仮に、菅内閣の閣僚が靖国神社に参拝するとすれば、この唯物論者の論理によれば次のようになる。 つまり、靖国神社には 「反対」 だが、反対の理由を見つけるために一度見ておく必要があるので昇殿する。
 まことに、靖国神社は、このような者が参拝するところではない。
 さらに、かつて中曽根総理大臣が、警護のSPを伴って靖国神社に昇殿し、二礼二柏手一礼の参拝をしなかったことがある。 時の松平宮司は、激怒された。 靖国神社は五体四裂して散華された英霊が祀られるところである。 そこに御身大事に警護に守られて昇殿するとは何事か、と。 靖国神社とは、そういう身が引き締まる厳しいところだ。
 よって、再度言いたい。 今年、菅総理と閣僚の参拝なく、靖国の英霊は喜んでおられる。


村山・河野談話に酷似

 さて、このたびの菅談話であるが、総理と官房長官が村山談話を引き継いでと表明しているとおり、内容と発表にいたる手法が平成7年8月15日のいわゆる村山富市談話とそっくりである。 また、事前に密かに韓国側と打ち合わせたという点で、平成5年8月4日の 「慰安婦関係調査結果発表に関する河野官房長官談話」 と同じである。
 まず発表にいたる手法であるが、議論を巧妙に回避して発表している。 そのため、談話の主語を 「私」 としており、あたかも菅直人個人の 「独白」 かのような体裁をとりながら、さっさと閣議決定を済ませている。 村山談話と同じである。
 そして、内容であるが、それぞれ誰も反対しない誠実な人の独白の後に、村山談話と字句も同じ 「ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします」 という談話の目的が述べられている。 要するに、断罪と謝罪談話である。 それも、 「私」 ( 菅個人 )の独白の形をとりながら、 「日本国家」 を悪をなしたものと断罪し謝罪せしめている。
 村山談話は、 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」 が、断罪と謝罪の前提である。
 そして、談話発出後、村山富市は記者に質問された。 「遠くない過去の一時期とは何時のことですか」 また 「誤った国策とは何ですか」 。 彼の答え。 「いや …… 分かりません」 であった。 つまり、何時のことなのか、何を誤ったのか、分からないのが村山談話である。
 これに対して菅談話は、 「ちょうど百年前の8月、日韓併合条約が締結され、以後36年に及ぶ植民地支配が始まりました。 …… 当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられました。 ……」 の植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し ……」 が、断罪と謝罪の前提である。
 村山富市になされたような記者の質問は出る余地はなく、具体的である。 したがって、菅談話の前提が 「歴史の握造」 であることがより明らかである。 そして、歴史を握造してまで祖国を断罪して謝罪せしめる菅直人らの執念と本質が明確となっている。


権力の臭いを嗅いだ左翼

 要するに、平成7年には、何時のことか、何を誤ったのか分からんけれども、とにかく日本というのは悪いことをした国だという 「総論」 としての総理大臣談話がでて、平成22年には韓国に関する 「各論」 がでた。 つまり、この 「総論」 に乗るかぎり、今後様々の 「各論」 がでることになるのだ。 そして、わが国は、中共と朝鮮の属国になる。
 この村山内閣は自社連立により生まれたのであるが、菅氏や今の与党幹部連中はこの自社連立時代に与党議員として権力の臭いを嗅いだ左翼として成長してきたのだ。 村山談話と菅談話。 15年の時空を経た見事な握造の合作である。 それにしても、この結果を目の当たりにするとき、村山に内閣を与えた自民党の責任こそ如何に重大であるか。
 さらに、菅談話は、内容と発表時期を韓国と密かに打ち合わせているのだが、内容が具体的であるので、具体的な次の 「成果」 に直結してくる。
 まず、日韓併合条約締結に関して、談話は 「その( 韓国人の )意に反して行われた植民地支配」 として、世界中で韓国だけが主張している日韓併合条約無効論に同調している。 その無効論を前提にした植民地支配によって、 「多大の損害」 がもたらされたと談話はいうが、 「損害」 という言葉をこの文脈で使えば自動的に出てくるのは 「賠償」 であることを忘れてはならない。 損害と賠償は不可分の概念である。 損害を与えたと認めれば賠償に直結する。
 さらに、この談話の発表は、8月15日に韓国大統領が 「光復節」 で演説する内容に菅談話を入れる必要上、8月10日の発表としたという。 いったい、どこまで韓国に迎合すれば気が済むのか。
 菅は、韓国大統領に仕える韓国の首相か。 実に、馬鹿馬鹿しい。 しかも、日本民族に恥をかかす罪深き唾棄すべき談話である。 日清、日露戦役を戦い抜いた明治の日本人なら、決して黙ってはいないだろう。
 そこでこれから、このような談話を生み出し続ける時代背景と情勢、さらに近現代のわが国の歩みを見つめていきたい。
 以前、地政学に関して、ある地域では同じことが繰り返し起こる、という指摘を読んだ。 それを知ったとき、バルカン半島と朝鮮半島を思い浮かべた。 バルカン半島はヨーロッパの火薬庫と言われていたし、朝鮮半島は常に大陸勢力を導き入れる地域であり、歴史上わが国にとってやっかいな地域だからである。
 そして、現在は朝鮮半島の北半分が当初はソビエトの属国となり次には中国によって支えられている。 また、南半分は、民主国家であるが、わが国に対しては中国と同調して反日的であり、民主国家で反日教育を続けている世界唯一の国である。


断罪と謝罪が繰り返される原因

 近現代史にかぎっても、115年前の日本と清国との戦争は、朝鮮半島を巡る日本と清国の確執から起こり、105年前の日本とロシアの戦争は、朝鮮がロシアの勢力を半島に導き入れたから起こった。 わが国は、一貫して朝鮮半島を支配する大陸側の勢力がわが国に及ぶことを排除してきたのである。 その最終的解決策は、わが国が朝鮮半島を支配することであった。 すると、同じことは起こらなくなり、朝鮮半島は安定した。 しかし、わが国の支配がなくなってまた同じことが起こっている。
 ところが、現在が明治の時代と違うところは、わが国自身が、主体性を失ってこの大陸勢力と朝鮮半島の影響をもろに受けているということである。 これが、わが国において、菅談話や村山談話という自国の断罪と謝罪が繰り返される原因である。
 桜井よしこさんによると、日中国交正常化当時の田中角栄以来、菅直人の談話まで、わが国が歴史に関して謝罪した回数は実に36回を上回るという( 8月12日の産経新聞 )。 これは、異常というほかなく、わが国は、古来から現在まで堅持してきた大陸に対する主体性を失って、精神的には朝鮮半島に組み込まれたかのごとき観がある。 だが、国内の状況では、わが国の主体性を堅持しようとする勢力と中国・韓国に同調する勢力との深刻な相克となって現れている。
 そして、現在は中国・韓国同調派、つま口自国断罪と謝罪派がわが国の主流である。 このことは、日本は侵略国ではないよい国だとの歴史認識を表明した田母神航空幕僚長を与党( 自民党と公明党 )が更迭し、野党( 民主党 )が日本はよい国だと言うような危険人物を航空幕僚長に任命した任命責任を問うと与党に詰め寄ったことでも明らかであろう。
 しかしながら、日本はよい国だと言った 「危険人物」 は、更迭から2年以上経過した今でも多くの国民の求めに応じて全国各地で 「危険思想」 を語り続けている。
 このことは、田母神さんを支持する国民の意識( まことに健全な意識 )が一挙に主流派になり、断罪と謝罪を繰り返す者が少数派になることを示している。 軍司令官の戦場とは、部下の戦う戦場だけではなく、政治やマスコミの場であると言われるとおりの戦いを、この 「危険人物」 が敢行してきたことになる。


反日こそが出世の手段

 では、わが国の現在の主流派とは何であり、これに影響を与えて断罪と謝罪と賠償を勝ち取る大陸勢力とは何であろうか。 それは、反日を出世の手段とする日本人と、反日を 「建国の神話」 とする周辺諸国、具体的には中共と韓国( 朝鮮 )である。 したがって、世界のなかでこの中国と韓国だけが反日国である。 これらの国では、反日でなければ権力が保たないのである。
 ところで、ロシアは如何なる態度なのか。 ロシアは、東アジアの主流は 「反日」 と認識し、中・韓に歴史観を合わせている。 もちろん、そうすることによって日露戦争以来の狙いである朝鮮半島まで勢力を拡張するためである。 以下順に述べたい。
 まず、反日が出世の手段である日本人について。 これは言うまでもなく、 「敗戦利得者」 とそれを見習って出世してきた者および左翼である。
 左翼は戦前から、国際共産主義運動・コミンテルンの指令に従って日本を敵視している。 出世主義者はわが国を占領した連合軍のWar Guilt Infomation Program、つまり東京裁判史観と日本弱体化政策に同調した者たちである。 何しろ、占領軍によって数十万人が要職から追放されたのである。 彼らは占領直後、占領軍に同調することによって追放された者の地位にありついた。
 さらに指摘しておかねばならないのは、戦後全く姿を現さないが、占領軍の検閲を実際に行った5千名を超える英語に堪能な日本人のインテリ集団とその影響力である。 彼らは検閲に従事することによって、当時月3万円の給料を得ていた。 これは、破格の高額である。 東條英機元首相が処刑された昭和23年12月の時点で、彼が残した全資産は15万円である。 若い検閲官は、5ヵ月で元首相の全資産に相当する額を得ていたのだ。 その検閲のリーダーは、東京帝国大学教授であり、戦後初代のNHKの会長になった( 若狭和朋著『 日本人が知ってはならない歴史』 ( 朱鳥社 )より )。
 また、彼に率いられた五千名を超えるインテリは旧帝大の教職などに収まり、昭和40年代初頭の大学紛争時には大学の幹部教授に納まっていたはずだ。 これが、自分の経歴を隠した敗戦利得者の最たる集団である。 大学紛争で明らかなように、日本の主要大学がすべて左翼に塗りつぶされていた理由はここにあったといえる。 その教え子は、現首相や官房長官をはじめ膨大な数に及ぶ。
 さらに、この検閲の効果であるが、これこそ歴史を奪ったのである。 検閲は国民の心から歴史を奪った。 しかし、我々は奪われたことを意識することができない。 なぜなら、検閲とは事実が国民に知られる前に排除する言論弾圧手法だからである。
 検閲の実態を具体的に説明する。 昭和20年4月7日に、沖縄戦に特攻出撃して沈没した戦艦大和から九死に一生をえて復員した海軍少尉・吉田満さんの『 戦艦大和ノ最期』 ( 講談社 )を例に挙げる。
 現在、書店や図書館にある 「戦艦大和ノ最期」 の末尾は、次のごとくである。
 「徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、『 大和』 轟沈シテ巨豊四裂ス、水深四百三十米、今ナホ埋没スル三千ノ骸。 彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」
 しかし、吉田満さんが生還した直後の昭和20年のうちに最初に書いた末尾は次のとおり。
 「サハレ徳之島西方二〇〇浬ノ洋上、『 大和』 轟沈シテ巨豊四裂ス 水深四三〇米、乗員三千除名ヲ敷へ、還レルモノ僅力二二百敷十名、至烈ノ闘魂、至高ノ錬度、天下二恥ヂザル最期ナリ」
 この初版テクストは、GHQの検閲により全文削除された。 後にアメリカーメリーランド州の大学図書館にあるのを江藤淳氏が発見し、1981年、初めて我々の目に触れた。


歴史を奪われた日本の姿

 このGHQにより削除されたものと出版を許されたものとの差は、明らかであろう。 まさに記憶を奪われたことが分かるではないか。 GHQが許したテクストは、戦没した者がどんな気持ちだったか分からない、と言っている。
 ところが、初版はそうではない。 天下に恥じざる最期だった、と言い切っているのだ。 これは天地の差ではないか。 そして、戦艦大和戦没乗組員の実相である 「天下に恥じざる最期」 は消し去られ、 「分からない」 だけが流布された。 さらに東京裁判史観( 自虐史観 )が注入されて、 「分からない」 が 「犬死」 になった。 「犬死」 とは、悪いことをした国家のために死んだということである。
 以後、我々日本人は、戦死した同胞の気持ちが分からなくなったままだ。 毎年8月になれば繰り返されるNHKなどの戦争特集番組において、アッツ島や硫黄島の玉砕、また沖縄戦におけるおびただしい軍民の戦死者、また集団自決した住民、さらに神風特別攻撃隊の兵士のことを 「屈辱の生より栄光の死を選んだ勇者」 、 「天下に恥じざる最期」 として報じる番組は皆無である。 大東亜戦争における戦死者は、犬死したことにされている。 つまり、これが歴史を奪われた姿である。
 平成7年の衆議院における謝罪決議反対闘争の時、ある議員に 「正々堂々と国家のために戦い命を捧げた英霊を辱めてはならない」 と言うと、後に総理になって自民党をぶっつぶすと言ったその議員は、 「戦死者は、正々堂々ではない、なんと馬鹿な戦争で惨めに死なねばならないのかと嘆いたはずだ」 と言った。 完全なる説得不能の村山談話派だった。 この時の謝罪決議も、欠席者多数ながら衆議院で議決され、村山談話も発出された。
 これが、戦後という時代が民族から歴史を奪い反日主義者を生み出し、反日が主流となり今に続く姿である。 そして、この戦後という時代の土壌の穴から、次から次とモグラのように断罪と謝罪が生まれてくる。
 しかし、このたびの菅談話を最後として、このモグラを生み出す戦後という土壌そのものを掃蕩しなければならない。 そうでなければ、国が滅びる。 いや、戦後日本人と左翼と大陸勢力が日本を滅ぼす。 よって、日本的改革とは、この戦後という時代の土壌を掃蕩し、主体性を保って大陸に対峙した明治のわが国に還ることに他ならない。


アメリカも日本悪玉論を歓迎

 次に、反日が 「建国の神話」 である国について述べる。
 中国共産党は、二十世紀に自国民を何人殺しているのか。 八千万人ほどか。 大躍進の失敗で数千万人が餓死し、文化大革命では二千万人が殺されている。 スターリンは二千万人を粛清したといわれるが、中国共産党はその数倍である。
 これだけの自国民を殺してきた独裁政権が権力を維持するためには、何をすればよいのか。
 内に向かっては強権を持って自由な言論を封じ込んで政治的自由を奪い、中国人民に惨害を与えた元凶を日本軍国主義の侵略であると民衆に思いこませた上で、その元凶を打ち破って人民に幸せをもたらした救世主が中国共産党であるという神話を造ることである。
 そのため、21年前の天安門事件で民衆の不満の矛先が中国共産党に向き始めて以来、特に朝から晩まで反日教育を強化してきた。
 また、韓国は李氏朝鮮以来の伝統的な事大主義( 大につかえる )によって、中華の本場の反日状況に合わせて反日色を強めてきた。 自国の歴史と現状を振り返ると、不都合なことは全て日帝36年支配がもたらしたと繰り返せば、現政権の正当性が維持できるという。 それを裏付けるように、歴代大統領は、政権の人気浮揚のために反日を煽る傾向にある。
 ところで、アメリカも実は、日本悪玉論を歓迎する。 対日戦争で、あれだけのおびただしい無事を殺し、都市を無差別爆撃し、2発の原子爆弾を非戦闘員に対して使用した国がアメリカだ。 自らが正義の味方だと思いこむためには、相手が悪かったと本能的に思いたいのだ。
 5年前のリガで、ヤルタ密約は東ヨーロッパに大きな惨害を招いたルーズベルト政権の重大な誤りであると演説したブッシュ大統領も、ヤルタ密約がアジアにおいて惨害を招いたとは決して言わなかった。 反対に、アメリカが軍国主義を打ち破ったので日本が民主化したように、サダムーフセイン排除後のイラクも日本のように民主化すると演説した。
 最後にロシアは何を狙っているのか。 それは、東アジアの反日の神話に参加することによって、北方領土不法占拠や60万人の日本車捕虜をシベリアで強制労働させ、10万人を死亡させた自らの悪行を正当化し、併せて朝鮮半島に勢力を伸ばそうとしている。
 本年は、わが国が戦艦ミズーリ艦上で降伏調印した9月2日を 「対日戦争勝利記念日」 と定める一方、7月にはボストーク( 東方 )という日本を仮想敵国とするソビエト崩壊後最大規模の軍事演習を沿海州および北方領土の陸海空で行っている。
 また、日露戦争開戦から百年目の2004年2月、ロシアは、韓国の仁川で日露間の最初の砲撃戦によって撃沈されたロシア軍艦のワリヤークとコレーツの戦死したロシア兵の慰霊碑を仁川に建設し、韓国と共同で慰霊祭をしている。 韓国を侵略する日本軍と戦ったのが、戦死したロシア兵だったという設定である。
 以上、わが国を取―巻く状況は、反日で塗りつぶされている。


「反省と謝罪」 が 「反日」 を作り出す

 さらに、このたびの菅談話をきっかけとして韓国からの賠償要求が具体的な日韓問の政治課題となる。 また韓国だけに謝罪するとはけしからん。 俺のところへも謝罪せよと中国や北朝鮮で反日が再燃する。 思わず苦笑いせざるを得ないほど、予想通りである。 わが国政府の 「反省と謝罪」 は、このようにして 「反日」 を作り出してきたのだ。 菅談話は、さらにそれに拍車をかけた。 ここにおいて、日本国民に明確になるものは何か。 それは、戦後という謝罪を生み出す土壌を掃蕩するしか、わが国家の道はないとい弓事実である。
 時あたかも好都合なのは、民主党政権誕生によって、国民は 「政権交代」 によってさらに悪くなったことを学習したことだ。 自民党はたしかにもうだめだ、と国民は思い知った。 しかし、民主党はだめな自民党よりさらに愕然とするほどだめである。
 驚くべき閉塞状況に陥っていることを国民は実感し、このままでは、政治、経済、そして文化のあらゆる分野でわが国は後退すると思い知った。 したがってわが国は、もはや、新たなる真の保守の結集が死活的に必要だという最終局面に入ってきている。 民主党政権と菅談話の唯一の意義は、この国家の危機を国民が知るきっかけになったことだ。
 そこで、菅談話が日韓関係に関したものである以上、本稿も日韓関係史の概略を述べて締めくくりたい。
 まず私の好きな歌に、 「大君の 命かしこみ 磯に触り 海原渡る 父母をおきて」 という万葉集の防人の歌がある。 しかし、今までこの歌の地理的イメージは浮かばなかった。
 ところが、ここ6年来、毎年一度は対馬を観に行くようになってから、一千数百年前にこの歌を詠んだ防人が渡った海は玄界灘だと確信した。 それは、対馬の金田城の石垣を見たときからだ。 対馬はリアス式海岸で、海から急峻な山岳が突き出ている。 金田城は、その海から突き出た山城で、海岸から山頂まで200メートルほどの高低差がある急斜面を、長大な防御の石垣が一気に積み上げられている。 尋常の労力で作れるものではない。
 数千の防人が何度も続けて対馬に渡ってきたのだ。 そして、あの万葉集に歌を残した防人がこの巨石を運んだのかもしれないと感じ、思わず石を撫でた。 この時、わが国は朝鮮半島人と戦ったのではなく、半島が導き入れた大陸の唐の軍隊と戦った。
 これ以前にも、朝鮮の北に好太王碑があり、碑文の内容はわが国の記紀に記述がある神功皇后の朝鮮出兵と符合する。 しかし、対馬が国境の島だという自覚は、わが国が朝鮮半島南部の任那や百済から勢力を引き上げたこの万葉集の時代からだろう。 そして、この時から、わが国と朝鮮の今に通じる地理的位置関係が出来上がる。
 その上で、十九世紀以来の日韓関係を概観したい。 十九世紀、朝鮮は絶望的な停滞社会に陥っていた。 明治維新期にわが国と支那と朝鮮を旅した英国人の イザベラーバード は、わが国の安全が確保された秩序と穏やかな人情と清潔さに感嘆し、朝鮮の疲弊と不潔さに祚易している。
 写真で見ても、今もソウル中心部に残る王宮の門が貧民窟に取り囲まれている。 1910年にいたっても、朝鮮人の平均寿命は24歳であった。 その半世紀前はさらに絶望的であったであろう。


朝鮮の独立を勝ち取った日本

 そこで、明治維新を終えた日本の朝鮮に対する態度は如何であったか。 それを確認しておこう。 なぜなら、わが国の学校では事実を教えていないからである。
 幕末のペリー来航により、わが国が欧米列強と結んだ条約は不平等条約だった。 そして、わが国は明治維新以後、朝鮮に対して不平等条約を押しつけ、欧米にされたことを朝鮮に対して行った、というのがわが国の教科書である。
 しかし、これは嘘だ。 明治9年の日朝修好条約( 江華島条約 )第一款は、 「朝鮮は自主の国であり、日本と同様の権利を有する国と認める」 と、まず朝鮮が独立国であると宣言している。 そして、第十款では、お互いに治外法権を持つことを認め合っている。 すなわち、 「日本人が罪を犯した場合は日本の官吏が裁判を行い、朝鮮人が罪を犯した場合は朝鮮の官吏が裁判を行う」 。 次に、関税自主権であるが、条約付属の往復文書により、日朝貿易ではお互いに税をかけないことを確認している。
 これは、完全な平等条約ではないか。 韓国人が、わが国が大東亜戦争で敗北した8月15日を 「光復節」 として祝うなら、わが国が朝鮮を独立の国と宣言した明治9年( 1876年 )を記憶するべきである。
 次に、日清戦争はなぜ起こったか。 半島内に軍隊を入れた清国の宣戦布告文にある 「朝鮮はわが人清国の藩属たること200年」 と、日本の日朝修好条約第一款 「朝鮮は独立国である」 の抜き差しならない対立から起こった。
 その結果、日本と清の間で締結された下関条約第一条は 「清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す、因りて右独立自主を損害すべき朝鮮国より清国に対する貢献典礼等は将来全く之を廃すべし」 と宣言された( 明治28年 )。 朝鮮半島に初めて清( 支那 )も認める独立国が誕生した。 これが朝鮮の真の 「光復」 の時だ。 つまり、わが国は朝鮮の独立のために清と戦ったのである。
 では、日清戦争で大韓帝国として独立した朝鮮はその後どうなったか。 韓国皇帝は三国干渉に屈した日本を蔑視してロシアを頼り、ついには韓国皇帝がロシア公使館の中に監禁され、半島各地にロシアの軍事基地が建設された。 このロシアの軍事基地は日本を屈服させるための基地である。 そして、これが日露戦争の原因となる。
 わが国は明治9年、朝鮮の独立を宣言し、同28年、清国と戦って朝鮮の大韓帝国としての独立を勝ち取った。 しかし、独立した大韓帝国は今度はロシアを半島内に招き入れた。 したがって、日露戦争でどちらが勝とうとも、日露戦後の朝鮮の独立はあり得ない。


「自分で生きていけない国」

 2001年、ハーバード大学アジアセンター主催の学術会議において、ケンブリッジ大学のJ・クリフォード教授( 国際法 )は、日韓併合について 「自分で生きていけない国について、周辺の国が国際秩序の観点からその国を取り込むことは当時よくあったこと」 と併合条約の有効性を説明した。 当時の大韓帝国は、典型的な 「自分で生きていけない国」 であった。
 日露戦争後、併合反対派の伊藤博文がハルビンで射殺され、一挙に1910年の日韓併合に向かう。 以後36年間、わが国は朝鮮を 「植民地」 として搾取したのか。  わが国は、国家予算の20%を朝鮮に投下し続け、朝鮮の両班、中人、常人そして奴婢といケ身分制度を廃止し、朝鮮全土に小学校を建設して国民教育の体制を整え、同時にハングルを普及して文盲撲滅に乗り出して朝鮮の近代化を進めた。
 次の数字が、36年間の成果である。 併合当時の朝鮮人の平均寿命は24歳、人口は980万人、昭和20年には日本人と同じ平均寿命48歳、人口は2600万人。
 大東亜戦争が終わってから20年後の昭和40年、わが国は韓国と日韓基本条約などを締結して国交を正常化し、毎年108億円を10年間無償供与すること、長期低金利の援助720億円を実施し、韓国内の日本資産1兆円余の請求権を放棄した。 これによって両国は、財産の請求権は法人と個人を含め 「完全かつ最終的に解決された」 と確約した。 なお、この時の韓国の国家予算は1260億円であった。
 現在のわが国の国家予算を80兆円として、その約1.4倍の有償無償112兆円を出してくれる隣国があればどうなる。 日本は韓国に、まさにそれをしたのである。
 日韓併合にいたる経緯と併合してからの36年間、そして併合期間を這かに超える昭和20年以降の日韓のつき合いを概観すれば、菅談話は自虐史観に基づく歴史の握造としか言いようがない。 自国の歴史を握造して、国家を謝罪せしめるとは何事か。 万死に値する。
 私の感慨は、他民族のためにこれほど尽くした民族は、日本人のほかにはないのではなかろうか、ということである。 このことは、韓国近代化のなかに刻まれている。 私は、父祖の歩みに誇りを感じる。


事実を知れば誇りが生まれる

 さて、政治的実践者の端くれであるから申し上げたい。
 これからまさに、国家再興のために、歴史を回復してぃかねばならない。 それは事実に即して父祖の歩みに誇りを感じ、教育のあらゆる機会に子供たちにそれを伝えていくことである。 誤魔化すことはなく、事実を知れば誇りが生まれる。 日本はこのような正々堂々たる歩みをした国だ。 それは具体的には、英霊の最期を、検閲後の 「彼ら終焉の胸中果たして如何」 から、当初の検閲で抹消された 「至烈の闘魂、至高の錬度、天下に恥じざる最期なり」 という認識に回帰することである。
 しかし、これを成すには、戦後の分厚い土壌を除去するという至難の事業に身を捨てて取り組まねばならない。 そうしなければ、日本は一挙に日本でなくなる。 わが国はすでにこのようなのっぴきならない崖っぷちにきているのだ。
 しかも、その作業を反日を建国の神話とする中国などのヒステリックな近隣諸国の執拗な内政干渉のなかで断じて実行することになる。 そして、誇りある日本の再興を世界も待っているのである。
 そのためには、村山富市談話を墨守する既成の党はすでに有害であり、使い物にならない。 したがって、真の保守の勢力が国民の前に姿を現し主張を展開することだ。
 次の衆議院総選挙が、わが国の運命を決する。 真の保守が、全国300の選挙区のなかに姿を顕さねばならない。 最後に、私の心に覚悟として浮かんでくる西郷南洲の言葉を掲げて本稿を終える。
 「正道を踏み国を以て箆るるの精神なくば、外国交際は全かる可からず。 彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順する時は、軽侮を招き、好親却って破れ、終に彼の制を受るに至らん」 ( 「西郷南洲遺訓」 より )。