靖国問題は文化の問題なのです





靖国神社公式参拝に反対するすべての政治家の皆様ヘ
韓国・中国の 「死者に鞭打つ文化」 になぜ迎合するのですか?

 まず最初に確認しておきたいのですが、戦争のために命を落とした犠牲者の霊を慰霊しなければならない、という点には異論はないのですね?
 戦争犠牲者の慰霊について、それはダメだという政治家は一人もいないでしょう。
 では、国のために戦って死んだ人、つまり 「戦死者」 という人々についてはどうですか?
 おそらくそこで 「侵略戦争の加担者つまり加害者」 は 「悪」 であるというご主張なのでしょう。
 しかし、 「戦死者」 を祀り慰霊することは世界の常識であり、中国でも韓国でも当然の常識としてやっていることです。
 それなのになぜ反対するのですか?
 やはり、特に靖国神社参拝については 「加害者」 だから 「悪人」 だからいけない。 まして 「A級戦犯」 を祀っているところなど、とんでもない、ということなのでしょうか。
 では、少し考える材料を提供しましょう。
 仮にあなたたちの主張を100パーセント認め、彼等は 「悪人」 だとしましょう。 あくまで仮の話ですが、仮にそうだったとしても、死後の安息まで奪うべきだとお考えなのですか?
 もっとわかりやすく言います。
 仮にあなたが検事だとします。 被告に対して死刑を求刑し、被告本人も潔くその罪を認め、その被告は死刑になりました。 当然、墓が作られます。
 罪を犯したとはいえ、その罪を死をもって償ったのだから、検事として一私人として、その死刑囚の墓に墓参りをすることは何の問題もないはずです。

 ここで、被害者の遺族が次のように言ったら、どうしますか?
 「おまえはなぜ死刑囚の墓にお参りなんかするんだ。 あいつは罪人だぞ」
 「検事として行くのか? 一個人として行くのか? 検事として行くなら、おまえはあの罪人の罪を罪だと思ってないんだな」
 「墓を作ること自体遺族として不愉快だ。 そんなものはこわしてしまえ!」
 どうですか、もしあなたがこういう立場だったとしたら、こうした 「遺族」 の主張に賛成しますか?
 当然、賛成しないでしょう。 普通の日本人はこういう考え方をしないはずです それはあえて説明するまでもありませんね。 しかし、気が付いていただきたいのは、中国・韓国の主張は、まさにこの 「遺族の弁」 と同じこと だ、ということです。

 極めて言いにくいことですが、ここで一つはっきり言わせていただきたいのは、日本の政治家、特にあなた方のような主張をする方々は、あまりにも歴史に対して勉強不足 だということです。 こんなことを言うのは大変失礼なのですが、あえて失礼を省みず申し上げます。
 たとえば教科書問題を批判するなら、せめて韓国、中国の教科書も読むべきです。 当然その評価をするためには公正な立場での 「勉強」 が必要です。 あなた方は明らかに、その最低限の努力いや義務を怠っています

 たとえば、あなた方は 「軍国主義に絶対反対」 だ、とおっしゃる。 そのこと自体には私はまったく賛成します。 しかし、それならば日・中・韓の教科書を比較して、どれが一番 「軍国主義的」 か、という問題意識がなければなりません。
 あなた方はこの作業をしていないでしょう。 「第三国」 の人に 「審判」 してもらってもいいですが、突出して軍国主義的なのは中国で、国家主義という点で韓国がそれに次ぐというのは、誰が見ても明らかなことなんですよ
 それは彼等の教科書が、まさに日本の戦前と同じように、 「国定教科書」 だからです。
 国定教科書の欠点はよくご存じじゃなかったんですか。 それは政府見解、つまり一方的に政府( 自国 )にとって都合のいい内容、 「大本営発表」 のオンパレードになるということです。

 中国も韓国も、こんな一方的な教科書によって育てられた人間が、他人の国の文化に一方的な、まさに内政干渉ともいうべきイチャモンをつけてくるのです


大韓帝国の総理大臣の墓を隠し続けた子孫

 そうです、実は 靖国問題は文化の問題 なのです。
 先程の 「検事」 と 「遺族」 のたとえを、もう一度見てください。 普通の日本人なら、あそこまで 「主張」 はしないでしょう。 ところが、中国・韓国という儒教文化圏では、あのような主張は決して 「非常識」 ではない のです。
 中国史をひもといてごらんなさい。 中国では戦争に勝った側が、負けた側の人間の墓まで掘り起こし、遺体に侮辱を加えたり焼き捨てたりする ことは、決して珍しいことではありません。 いや、珍しくないどころか、王朝の交替時にはよくあること、と言った方がいいかもしれません。
 前の王朝はすべて悪であり、悪だから滅ぼしたのだ( =それゆえ新王朝は正しいのだ )というのが、 「中国史のかたち」 です。 そして、 「悪人( つまり前王朝の支配者 )」 は一切祀ることを許さず、墓や祠があれば徹底的に破壊する、というのが彼等の文化なのです。
 決して昔の話ではありません。

 李完用 という人物をご存じでしょうか? 日韓併合( 1910年 )の時の、韓国( 当時は大韓帝国 )の総理大臣で、この件についての韓国側の最高責任者です。
 日韓併合には様々な見方がありますが、ただ一つ確実に言えるのは、歴史的に李完用の決断を軽々しく評価するのは極めて難しいということでしょう。 「国賊」 とか 「売国奴」 という非難を浴びせるのは簡単ですが、では他に道があったのか? 彼が決断しなくても、いずれ誰かがしなければならなかったのではないか、など考えねばならない要素はいくつもあります。
 しかし、この件に関する韓国の 「公式評価」 は、一言で言えば 「極悪人」 ということです。
 ですから、彼の墓の所在は長い間秘密にされていました。 言うまでもなく、墓が暴かれ遺体が辱められること( 儒教では土葬が普通です )を子孫が恐れたためです。 この墓が正式に世の中に出たのは、彼の死後なんと53年目の1979年のことで、しかも伝え聞くところによると、子孫は遺体を火葬に付し、墓は 「廃墓」 にしてしまったそうです。 なぜ、そんな異例の措置( 火葬および廃墓 )をしなければならないのか。 もう説明する必要はありませんね。
 このことについて、 「残酷」 だとか 「野蛮」 だとか 「非人間的」 だとかいう言葉を、日本人の一人として私は口にしたいところですが、ここはぐっとこらえます。 なぜなら、そうすれば、自分たちの文化を絶対的なものとして、それで他国の文化を断罪する彼等と、同類になってしまうからです。
 もう、おわかりでしょう。
 中国、韓国の文化つまり儒教文化は 「死者に鞭打つ」 文化なのです。 「悪」 と決めつけた者には死んだあとの慰霊すら決して認めない文化なのです
 彼等自身が、同じ国の人間に対して、そういう態度を取るのは、彼等白身の問題でもあり、軽々しい批判は慎みたいと思います。 しかし、だからこそ、彼等の文化に、我々が迎合する必要はまったくありません それぞれ違う文化をもった国であり民族なのですから。 まして、自己の属する文化の価値観を一方的に押しつけるような行為、たとえば 「総理の公式参拝中止」 や 「A級戦犯合祀に対する異議」 などは、従う必要などまったくないことです。
 我が国には 「死者は善悪を問わずすべて慰霊されるべきだ」 という伝統があります。 そのことは、秀吉の 「朝鮮出兵」 の際に、島津家が建立した 「敵味方供養の碑」 でも、確認することができますし、他にも様々な例があります。 具体例をいちいち出さなくても日本が 「死者に鞭打つ文化」 の国ではないことは、充分おわかりになっていると思います。



日本だけを 「悪」 とする中韓のナメた態度

 日本の文化にも様々な欠点はありますが、この 「死ねば皆仏」 という考え方は、世界に発信してもいい日本の優れた文化の一つだと私は考えます。 しかも、この伝統は 「戦犯処刑者も戦死者と同等に扱う」 という形で1953年の国会決議で共産党も含めた全会一致で可決されています。
 それでも、中国や韓国が 「A級戦犯を祀るとは何事だ!」 とあくまで主張するなら、こう言います。
 第二次世界大戦後、世界が戦争というものに極めて慎重になった後も、中国という国は性懲りもなく、様々な国と戦争してきました ベトナムとの戦争( 中越戦争 )やチベットヘの侵略、また旧ソ連との国境紛争もあります。 しかし、その中で最大のものは、やはり朝鮮戦争への介入でしょう。 韓国人はよく 「南北分断は日本の責任だ」 と言いますが、 「責任」 という言葉を 「分断を最終的に確定させた者」 の意昧だとするなら、それは間違いで、責任があるのは中国です。
 朝鮮戦争は初め国連軍( アメリカ軍 )の支援を受けた韓国側が優勢でした。 そして、このままいけば韓国によって朝鮮半島が統一されると誰もが思ったとき、外国軍の侵入によって朝鮮軍が巻き返し、結果的に南北分断が確定してしまいました。 ちなみに、アメリカ軍のマッカーサー元帥が戦局打開のために原爆使用を要請し却下されたのはこのときです。 この外国軍こそ中国軍でしたこれは現代史の常識で、この事実は韓国の教科書にもきちんと載せられています
 つまり、中国軍とアメリカ軍および韓国軍はかつて交戦したことがあるのです。 そして、そのときの戦死者はアメリカの 「靖国」 ともいうべきアーリントン墓地に祀られていますもちろん中国軍の兵士も忠烈祠という中国販 「靖国」 に祀られています
 では、中国がかつて一度でも 「わが中国の兵士を殺したアメリカ兵の眠っている墓地に、大統領が毎年公式参拝するのはケシカラン」 と主張したことがありますか? 韓国が 「中国よ、朝鮮戦争でわが軍の兵士を殺し南北分断を確定させた兵士もいる忠烈祠に国家主席が公式参拝するのはケシカラン」 と主張したことがありますか?
 ないでしょう。 それは彼等も 「国のために命を捧げた兵士を慰霊するのは国家の代表者として当然」 と思っているか、あるいは 「大国に下手にイチャモンをつけると後が怖い」 と思っているかのどちらかです。

 では、なぜ他の国にはそう言わないのに、日本にだけ言うのか?
 ナメられている、ということです
 彼等が他の国に対して同様の主張をしているなら、賛成反対はさておいて私も間く耳は持ちます。 しかし、そうではないのだから、こんな要求は毅然としてはねつけ、そして日本の文化を説明すべきでしょう。
 ちなみに、A級戦犯と分祀( 靖国から霊としてはずす )せよ、という意見があります。
 自民党の野中広務元幹事長や民主党の菅直人幹事長、あるいは大橋巨泉氏までが、そう言い出しているようですが、あなたたちは本当に民主主義というものがわかっているのですか?
 現在、靖国神社は国家機関でも何でもない民間の宗教法人ですよ。 民間の宗教団体に 「分祀」 などということを政治家が言っていいんですか? それは創価学会に 「日蓮を信仰対象からはずせ」 というのと同じで、信教の自由に対する重大な侵害行為ではありませんか。 それこそ戦前の悪夢の再現でしょう。
 では、その 「民間の機関」 に総理が公式参拝するのはどうかと問われれば、少なくとも神社の形で戦死者を慰霊することが日本の伝統である、とお答えしましょう。 ただ、小泉総理には、同時に千鳥ケ淵の国立戦没者墓地にも参拝するよう申し上げておきます。


日本と中韓とは文化も価値判断もまったく違うという事実を認識せよ

 また日韓関係、日中関係がギクシャクしている。
 最近は小泉首相の靖国参拝問題で韓国の猛抗議が印象にあたらしい。
 なぜ、こんなにもめるのだろうか?
 それは 「日本人の、あるいは日本政府の反省こ謝罪が足りないからだ」 という、 「反日日本人」 や 「反日マスコミ( もちろん日本国内の )」 の宣伝や扇動によるということは、かなり多くの国民が認識してきたとはいえよう。 まだまだ 「洗脳」 状態にある人もいるが、少なくとも10年前に比べたら、はるかにマシになったとは確実に言える。
 しかし、いかに扇動があるからといって、これだけもめるのは、やはり他にも原因があると考えるべきだろう。 日本人は、韓国人の一部が誤解しているように、 「残虐」 でも 「傲慢」 でもない。 むしろ 「親切」 で 「思いやり」 を大切にする。 だから 「指を切って」 まで抗議する人がいると、何か日本人の方が悪いことをしたかのような錯覚に陥る。
 あたり前の話だが、韓国がどんな深刻な反応をしても、それが本当に 「正しい」 ことかどうかはわからない。 それは韓国側の誤解による過剰反応であり、あるいは白分たちの文化( に基づく考え方 )を絶対視した傲慢( 他の文化の価値観を認めない )による結果かもしれないのである。  ここで真のマスコミの使命とは、 「韓国はこんなに怒っている。 日本は反省すべきだ」 という、一見客観報道風の扇動をすることではなく、どうしてこうなるのか冷静に分析することだろう。
 これからそれをやってみよう。
 日韓関係における最大の問題は 「日本人と韓国人は外見上区別がつかないほど似ているのに、文化的にはまったく違っている」 ところにあると思っている。 さらに言えば 「文化的にまったく考え方が違うのに、外見が同じだから、ついつい同じ考え方をするものだと決め付けてしまう」 ということだ。
 日本人は中国人に対しても 「同文同種」 などと言い共通点を見付けて、できるだけ協調しようとする。 「和をもって貴しとなす( 他人との協調が最も大切だ )」 というのが、聖徳太子の昔から日本人の 「憲法」 なのだから、これはもはや天性ともいうべきものなのだが、やはり日本人は韓国人と( もちろん中国人とも ) 「同種」 ではない。 韓国では死んだ恋人の写真を飾ることを嫌うでは、どんなときにそれがわかるのか?

 たとえば、こんな例をご存じだろうか?
 ここで皆さんに、自分がいま20歳ぐらいの若者だと思っていただきたい( 本当にそれぐらいの年齢なら、ますます好都合だが )。 あなたに恋人がいたとする。 熱愛中だ。 ところが縁起でもない話だが、その恋人が事故かなにかで死んでしまったとする。 さて、あなたは彼女( あるいは彼氏 )の写真を部屋に置きますか?
 「置くに決まってるじやないか」
 それが日本人にとっては常識だろう。
 ここでもし、 「死んだ人間の写真なんて、気持ち悪くて置けない」 などと言う人間がいたら、おそらく 「なんて不人情なヤツ」 と、白い眼で見られることになるだろう。
 しかし、韓国ではこの常識が 「常識」 でないと言ったら驚くだろうか。 次の発言を読んでほしい。

韓:( 日本では )町の真ん中にお墓がたくさんあるのを見て驚きました。 東京タワーから眺めると、あちこちにお墓がありますものね。 韓国のお墓は、全部山のずっと向こう側で、町中にはありません。
日:すると、お墓の前を通るのもいやですか。
韓:とても怖いですね。 親しい人が亡くなったら、その人がいた部屋に入るのもいやですね。
日:もし熱愛していた相手が亡くなったとしてもですか。
韓:ええ、入れませんね。 怖くて。 日本では、亡くなったお父さんの写真を机の上や仏壇に置いて、話しかけたりしているシーンをテレビで見たことありますが、韓国ではそんなことはしませんね。 仏壇もありませんし。
日:では、亡くなった親族の弔いはどんな形でするのですか。
韓:死んで3年間は喪に服します。 毎月陰暦の1日と15日の朝に帰ってきます。 そのときに祀るわけで、日本のように仏壇にチーン、行ってきます、はないですね。 そういうわけで、韓国のほうが、周りの人が亡くなったときに日本人より断絶感が強いですね。
 韓国人は一般的に 「……だ」 と断言するのが好きである。 普通に考えれば例外もあることを、 「絶対にである」 と断定的口調で言う人が実に多い。 日本人のように 「必ずしもそうとは言い切れないでしょう」 などという言い方は、民族性に合わないのかもしれない。
 そこで、念のために違う地方出身の韓国人にも聞いてみた。
 ある人は 「うちでは亡くなった父親の遺影は飾ってある」 と言った。 しかし、それでも 「死んだ恋人の写真を、特に未婚の娘が『死んだカレ』の写真を飾ることはない、だいたい親が嫌がるし」 とも言った。 ずっと若い人である。
 ちなみに神社に関しては、 「悪霊の住み処のようで怖い」 と言った。 「留学生」 は 「日帝時代に神社拝礼が強制されたことで悪いイメージはある。 ただ、どんな神が祭ってあるのか、韓国人一般は神社そのものに対する知識が乏しいのではないか。 私自身は日本に来るまで神社とは天皇を拝む場所だと思っていた」 と教えてくれた。


儒教では 「極悪人」 は死後も 「極悪人」

 へ~え、韓国人って、意外に日本のことを知らないんだなあ、と思っている、あなた。 では韓国にはなぜ仏壇がないのか、その理由をはっきり理解しているでしょうね?
 答えは伝統的な葬式は儒礼( 儒教 )でやるから( 仏式もある )、ですよ。 このへんは台湾あたりとも、まったく事情が違う。 日本の仏教はなぜ 「葬式仏教」 などと言われているかといえば、一部の 「信徒」 にとってはほとんど葬式しか接点がないからだ。 これは日本仏教の大きな特徴なのである。
 儒教の中でも 「神社」 的なものがまったくないわけではない。 たとえば三国志の英雄である関羽を祀った関帝廟がそうだし、宋時代の愛国軍人の代表ともいうべき岳飛の墓も岳廟と呼ばれ、いまも中国杭州の地にある。 ちなみに、この岳飛の座右の銘は 「尽忠報国( 忠を尽くして国に報ず )」 であった。 明治時代日本の軍人は、この 「尽忠報国」 という言葉を一生の指針にしていた人が多かった。 その愛国者岳飛を、あまりに金国に対して攻撃的過ぎると、無実の罪におとし入れ獄死させ、結果的に元の侵略を許した当時の宰相( 総理大臣 )を秦檜( しんかい )という。
 今でも岳廟に行くと、参道右脇に 「縛られた秦檜夫妻」 の銅像がある。 これは何のためのものか。 一般の日本人にはおそらく想像もつかないだろう。
 実はツバを吐きかけるためのものである。
 参拝者がツバを吐きかけるために、わざわざ像が作られたのだ。
 秦檜は金国に国を売った 「売国奴」 であり 「A級戦犯」 だからである。 では、 「A級戦犯」 秦檜は本当に弁護の余地のない極悪人なのか。 もちろん、そんなことはない。

 「秦檜にも弁護者がいます。 あのとき南宋は金の南下を、軍事力では防げなかったのだから、外交交渉によって、国家の安定をはかったのはとうぜんであるという説です。 また徽宗( きそう )の霊柩や高宗の生母の帰還をもとめるため( 当時これらが金国において『人質』の形になっていた )には、交換条件が必要で、臣従を承諾したのはやむを得ないことだったと弁護する論者もいます。 結果論かもしれませんが、秦檜の動機がなんであれ、軍閥を抑えたことによって、宋の特長である教養人優位の文化社会が維持できました。 南宋の首都杭州の繁栄は、人びとの目をみはらせるものがあり、地上の天国といわれるほどになったのです」 ( 『中国の歴史』陳舜臣著 平凡社刊 )

 だが、こういう弁護論は表面に出てくることはない。 あくまで民衆レベルでは、 「A級戦犯」 秦檜は 「ツバを吐きかけられるべき存在」 なのである。 これと同じく、日韓併合時の韓国側の総理大臣であった李完用が 「廃墓」 という仕打ちにあっている。
 「御先祖様崇拝」 の 「儒教」 の国において、墓が建てられないということは、まさに極刑に値するわけだが、一度 「極悪人」 の恪印を押されると、二度と名誉回復のチャンスはない。
 これが彼等の 「歴史」 に対する考え方である


文化の違いをしっかり認識するのが第一歩

 一方、日本人は 「死んでしまえば皆仏」 、より正確に言えば、 「死者となった以上、霊としてその存在は丁重に扱われるべきだ」 などという考え方をする。
 みなさんはもうおわかりだろうが、念のために言う。
 彼等の文化では、 「悪人」 の墓は暴いて死者に鞭打ってもいいのである。 おとなしい日本人は、故意に大げさに言いたてていると思うかもしれないが、これはまったくの事実だ。 だからこそ、日韓併合から数えても、あるいは日本の敗戦から数えて、もう何十年も経過しているのに、李完用の墓はいまだに 「ない」 のである。 それが存在すれば、暴かれる恐れがあるからだ。
 こうした感覚があるからこそ、 「A級戦犯を祀る靖国への参拝はケシカラン」 ということにもなるのだ。 日本の政治家の中には、中国や韓国にこういう文化があるのも知らずに迎合している人々がいるが、たとえば A級戦犯の霊に対してツバを吐きかけるところまで 「お付き合い」 するつもりなのか、一度問いてみたいものである
 では、今一体何をすべきなのか。 それは、とくに日韓間においては、 「われわれは外見上は区別はつかないが、中味は、つまり文化的にはまったく違う。 文字通りの異民族同士である」 という事実をしっかりと認識した上で、このような知識をもっと増やすことだろう。
 韓国人の中には、 「そんなことより、日帝36年の支配の方が最大の問題だ」 と言う人間が必ずいるだろう。 しかし、よく考えてもらいたい。 日韓併合( あるいは創氏改名 )という問題はなぜ起こったのか?  それは日本人が韓国人について 「外見上区別もつかないし、中味も同じだ」 と思い込んだからこそである。 差別するつもりなら、日本人と韓国人が見分けのつかなくなる 「創氏改名」 などは絶対にしない そうしたのは、そういう思い込みがあったからである。 しかしそれは一方的な自分たちの文化の押しつけであり 「犯罪」 ではないかと言われれば、その通りと答える。 だからこそ逆に靖国問題に対して、自分たちの一方的な価値判断を押しつけることも 「犯罪」 であり、やめるべきだと言うだろう。
 われわれは違う民族なのだ。 だから言語も違い、文化も違うのである。





( 2013.12.29 )
 

 米国のオバマ政権は安倍晋三首相の靖国神社参拝に対し 「失望」 を表明した。 その背後には靖国に祭られた霊の中に米国を敵として戦い、戦後に戦犯と断じられた人たちがいるからという理由づけもあることは明白である。

 だが米国の首都のワシントン国立大聖堂にもアメリカ合衆国を敵として戦い、戦後に戦犯扱いされた将軍たちが祭られている事実が新たな注視を集めたことは皮肉だといえる。 オバマ政権の、自国と日本に適用する価値基準が明らかに背反しているからだ。

 首都中心部にそびえる大聖堂はキリスト教のあらゆる宗派の礼拝や追悼の国家的な場となってきた。 多数の大統領の国葬や歴史上の人物の式典が催され、無数の米国民が参拝してきた。

 大聖堂のネーブ( 身廊 )と呼ばれる中央の礼拝堂の祭壇わきには南北戦争でアメリカ合衆国に反旗を翻し、奴隷制を守るために戦った南部連合軍の最高司令官のロバート・E・リーとその右腕のストーンウォール・ジャクソンという2人の将軍の霊をたたえる碑文と生前の活動を描く多色のステンドグラスが存在する。 その慰霊表示は礼拝堂の壁面全体でも、よく目立つ巨大な一角を占めてきた。

 その事実が話題になることはこれまで少なかったが、12月11日、大聖堂で南アフリカの大統領だったネルソン・マンデラ氏の追悼式が催されたのを機に議論を生んだ。

 ワシントン・ポストの首都圏コラムニストのジョン・ケリー氏が 「なぜリーとジャクソンが大聖堂で栄誉を受けるのか」 と題する記事で疑問を提起したのだ。 「人種平等のために戦ったマンデラ氏を悼む場に人種平等阻止のため戦った2人が堂々と祭られていることに驚いた」 との指摘だった。

 バージニア州のランドルフメーコン大学のエビー・テロノ歴史学教授も 「首都の大聖堂にこの首都自体を破壊しようとした将軍たちの慰霊表示があることは矛盾」 との見解を述べた。

 だが両将軍の大聖堂への祭祀さいしは1953年と歴史は古い。 南部連合の子孫の女性団体が20年がかりで訴え、実現させた。 その結果はリー将軍らの 「高貴な信念の豪胆なキリスト教戦士」 という碑文での聖人化であり、戦場での勇猛な活躍ぶりのガラス画化だった。

 こうした疑問に対し大聖堂の広報官は 「南軍将軍の慰霊表示も米国の歴史のキリスト教の視点からの紹介であり、歴史にはよい部分も悪い部分もある」 として公式の反対はないと言明した。 死者の霊は生前の行動によって責められることはないとの見解だった。

 だからこそこの大聖堂にオバマ大統領も閣僚たちも頻繁に参拝するのだろう。 だが、その政権は靖国に対しては問われる前に日本の首相の参拝への 「失望」 を喧伝けんでんするのだ。 ブッシュ前政権が当時の小泉純一郎首相の靖国参拝を認め、むしろ中国の圧力に屈するなという意向を示したのとは対照的である。

 日本の首相は頻繁に靖国を参拝すべきだというジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は 「オバマ政権の靖国への態度は大聖堂の現実からみると明らかに偽善的だ」 と論評するのだった。