「富田メモ」 についての各紙社説および纏め


「富田メモ」 についての各紙社説および纏め。


朝日社説 7月21日
A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉
 東条英機元首相ら14人のA級戦犯が靖国神社に合祀されたのは、78年のことである。 戦後も8回にわたって靖国神社に参拝していた昭和天皇は、合祀を境に参拝を取りやめた。
 その心境を語った昭和天皇の言葉が、元宮内庁長官の故富田朝彦氏の手で記録されていた。 A級戦犯の合祀に不快感を示し、 「だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ」 とある。
 昭和天皇が靖国神社への参拝をやめたのは、A級戦犯の合祀が原因だったことがはっきりした。
 合祀に踏み切った靖国神社宮司の父親は松平慶民元宮内大臣だった。 メモには、その名を挙げ、 「松平は 平和に強い考( え )があったと思うのに 親の心子知らず」 という言葉がある。
 A級戦犯が合祀されているところに参拝すれば、平和国家として生まれ変わった戦後の歩みを否定することになる。 昭和天皇はそう考えたのだろう。
 天皇個人としてという以上に、新憲法に基づく 「国民統合の象徴」 として、賢明な判断だったと思う。 しかも、中国などが合祀を問題にする前の主体的な判断だったことを重く受け止めたい。
 戦前、天皇は陸海軍の統帥者だった。 自らの名の下に、多くの兵士を戦場に送った。 亡くなった兵士の天皇に対する気持ちは様々だろうが、昭和天皇が靖国神社に赴き、戦没者の魂をなぐさめたいと思うのは自然な気持ちだろう。
 しかし、戦争を計画、指導した軍幹部や政治家らを一緒に弔うとなると話は別だ。 そう考えていたのではないか。
 メモには 「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」 と記されている。 日独伊三国同盟を推進した松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使への怒りもうかがえる。
 A級戦犯の合祀に対し、昭和天皇がかねて不快感を示していたことは側近らの証言でわかっていた。
 それなのに、昭和天皇が靖国参拝をやめたのは合祀が原因ではないとする主張が最近、合祀を支持する立場から相次いでいた。
 75年に三木武夫首相が私人として靖国参拝をしたことを機に、天皇の参拝が公的か私的かが問題になったとして、 「天皇の参拝が途絶えたのは、これらが関係しているとみるべきだろう」 ( 昨年8月の産経新聞の社説 )という考えだ。
 こうした主張にはもともと無理があったが、今回わかった昭和天皇の発言は、議論に決着をつけるものだ。
 現在の天皇陛下も、靖国神社には足を運んでいない。 戦没者に哀悼の意を示そうにも、いまの靖国神社ではそれはかなわない。
 だれもがこぞって戦争の犠牲になった人たちを悼むことができる場所が必要だろう。 それは中国や韓国に言われるまでもなく、日本人自身が答えを出す問題である。 そのことを今回の昭和天皇の発言が示している。


毎日社説 7月21日
昭和天皇メモ A級戦犯合祀は不適切だった
 昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を抱いていたことを示す富田朝彦元宮内庁長官のメモが明らかになった。 「だから私はあれ以来参拝していない。 それが私の心だ」 という簡潔な表現は真に迫っている。 史料価値は高い。
 これまでも、1975年以降、昭和天皇が靖国神社へ参拝に行かなくなった理由については、A級戦犯の合祀に不満だからであると言われていた。 そして、それがA級戦犯の分祀を求める意見のひとつの根拠になっていた。
 しかし、政界や靖国神社関係者などには、A級戦犯を裁いた東京裁判の不当性を主張すると同時に、天皇の靖国参拝中断はマスコミが騒ぐせいだという声高な反論があった。 その論争は、富田メモではっきりと決着がついた。
 中曽根康弘氏は首相として1985年に靖国神社を公式参拝したが、中国の批判を受け翌年の参拝を断念した。 この時、富田元長官は 「靖国の問題などの処置はきわめて適切であった、よくやった、そういう気持ちを伝えなさい、と陛下から言われております」 という電話を、首相官邸に入れた( 岩見隆夫 「陛下の御質問」 )。 昭和天皇は、首相の靖国神社公式参拝にも反対だった。
 富田メモから、昭和天皇の思考の一端がうかがえる。 「松平( 慶民元宮内大臣 )の子の今の宮司がどう考えたのか。 易々やすやすと。 松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている」 というくだりである。
 先代の筑波藤麿宮司が棚上げにしてきたA級戦犯合祀を実行した松平永芳宮司に対して、親不孝だという強烈な批判をしている。 「易々と」 という苦々しい言葉は、A級戦犯を合祀しようとする人々に昭和天皇が反対していたことを示している。
 戦前の靖国神社は、国民が戦死者をとむらう宗教施設ではなかった。 天皇が、天皇のために戦死した軍人たちの栄誉をたたえる顕彰施設だった。 戦死者の遺族は 「息子が天子様のお役に立てた」 という論理で悲しみを癒やされる建前だった。 だから天皇による親拝は靖国神社の本質だったのである。
 戦後、宗教法人になり、皇室から独立した。 だが、天皇によって遺族が癒やされるという戦前の伝統は、天皇の私的参拝という形で続いていた。 それが絶たれた原因は、A級戦犯合祀という神社側の選択にある。
 もちろん、宗教法人となった靖国神社が、天皇と歴史観、戦争観が違っていても自由である。 メモにしても天皇個人の気持ちにすぎない。 小泉純一郎首相のように 「それぞれの心の問題」 と考えるのも自由だろう。
 だが、そうだとしても戦没者に感謝と哀悼の誠をささげるための施設として議論の余地がないなら、なぜ内外で大きな論議を呼ぶのだろうか。 その最大の原因は、A級戦犯合祀にある。 その事実を冷静に考えるならば、いまの状態で首相が靖国神社に参拝するのは、やはり適切ではない。


読売社説 7月21日
[ A級戦犯合祀 ] 「靖国参拝をやめた昭和天皇の『 心 』」
 直截ちょくせつ的な表現に、驚いた人も多いのではないか。
 昭和天皇が、 「A級戦犯」 の靖国神社合祀をめぐって、 「だから私はあれ以来参拝していない。 それが私の心だ」 と語っていた。 宮内庁長官だった富田朝彦氏の手帳の1988年4月28日付メモに記されてあった。
 極東国際軍事裁判( 東京裁判 )で 「A級戦犯」 に問われた東条英機元首相ら14人が、78年10月、 「昭和殉難者」 として靖国神社に合祀された。
 昭和天皇は、戦後8回にわたり靖国神社を参拝されたが、75年11月の参拝が最後となった。 今の陛下も、即位後は参拝されていない。
 一方、三木首相による75年の靖国神社参拝を契機に、公人としての参拝か私人としてかが、政治問題化した。
 昭和天皇が参拝されない理由は 「A級戦犯合祀」 なのか、 「公人・私人」 の政治問題を避けるためなのか。 二説があったが、憶測の域を出なかった。 メモの発見により、一つの区切りがついた。
 富田メモには 「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」 とある。 松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使を指したものだろう。 2人は、日独伊三国同盟の締結を推進し、そのことが日米開戦の大きな要因ともなった。
 90年に公表された 「昭和天皇独白録」 の中で、昭和天皇は松岡元外相について 「『 ヒトラー』 に買収でもされたのではないか」 と厳しく批判している。
 昭和天皇は、一貫して戦争を回避することを望みながら、立憲君主としての立場を踏まえて積極的な発言は控えたとされる。 その立場から、戦争責任を問われるべき指導者の合祀に納得できなかったということだろうか。
 別の資料だと、同じ 「A級戦犯」 でも、木戸幸一元内大臣については、 「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」 と語ってもいる。
 富田メモは、 「A級戦犯」 分祀論議にも一石を投じることになろう。
 だが、靖国神社は教義上 「分祀」 は不可能としている。 政治が宗教法人である靖国神社に分祀の圧力をかけることは、憲法の政教分離の原則に反する。 麻生外相は、靖国神社を国の施設にすることを提案しているが、これも靖国側の意向を前提としない限り不可能だ。
 靖国神社には、宗教法人としての自由な宗教活動を認める。 他方で、国立追悼施設の建立、あるいは千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充などの方法を考えていく。
 「靖国問題」 の解決には、そうした選択肢しかないのではないか。


日経社説 7月21日
昭和天皇の思いを大事にしたい
 昭和天皇が1975年を最後に靖国神社を参拝しなかった理由について、A級戦犯合祀に強い不快感を示し 「だから私はあれ以来参拝していない。 それが私の心だ」 と語っていたことが、故富田朝彦元宮内庁長官のメモによって明らかになった。 昭和天皇の意向が信頼性の高い具体的史料によって裏付けられたのは初めてである。
 小泉純一郎首相の靖国神社参拝をめぐって国内に賛否の大きな議論が渦巻き、この問題で中国、韓国との関係がぎくしゃくして首脳会談も開けない異常事態が続いている。 新たな事実が明確になったことを踏まえ、靖国参拝問題を冷静に議論し、この問題を他国の意向に振り回されるのではなく、日本人自身で解決するよい機会にしたい。
 昭和天皇が靖国参拝を見送った経緯については、かねてA級戦犯合祀に不快感を抱いていたとの宮内庁関係者の証言が伝えられていたが、靖国参拝擁護派はこうした見方を強く否定し、 「三木武夫元首相が75年に私人の立場を明確にして参拝したため、天皇が参拝しにくくなった」 と主張していた。
 今回の 「富田メモ」 によって昭和天皇の意向が明確になり、天皇が参拝しない理由を三木元首相のせいにした主張の論拠はほぼ崩れ去ったと言ってよい。
 昭和天皇がA級戦犯合祀に強い不快感を示したのは、過去の戦争への痛切な反省と世界平和への思い、米英両国や中国など諸外国との信義を重んじる信念があったためと推察される。 そうした昭和天皇の思いを日本人として大事にしたい。
 A級戦犯が合祀された78年以降、昭和天皇は靖国参拝を見送ったが、戦没者に対する哀悼痛惜の念はいささかも変わりはなかった。 高齢にもかかわらず毎年8月15日の全国戦没者追悼式には必ず出席し、哀悼の念と平和への思いをお言葉に託していた。  戦没者に対して深い哀悼と感謝の念をささげることは当然のことであり、その点に限って言えば、靖国参拝も否定されるべきことではない。 しかし、A級戦犯合祀は内外の理解を得るのが難しいのも事実である。 中国、韓国の反発だけでなく、米欧の世論も厳しい目を向けていることを忘れてはならない。
 靖国参拝問題は小泉首相が言うように 「心の問題」 で単純に片づけられるものではない。 昭和天皇の 「心」 の歴史的背景を重く受け止め、小泉首相をはじめ関係者が適切に行動することを切に望みたい。


産経社説 7月21日
富田長官メモ 首相参拝は影響されない
 昭和天皇がいわゆる“A級戦犯”の松岡洋右元外相らが靖国神社に合祀されたことに不快感を示したとされる富田朝彦元宮内庁長官のメモが見つかった。 昭和天皇の思いが記された貴重な記録だ。
 昭和天皇が松岡元外相を評価していなかったことは、文芸春秋発行の 『昭和天皇独白録』 にも記されている。 富田氏のメモは、それを改めて裏付ける資料だ。 メモでは、昭和天皇は松岡氏と白鳥敏夫元駐伊大使の2人の名前を挙げ、それ以外のA級戦犯の名前は書かれていない。
 靖国神社には、巣鴨で刑死した東条英機元首相ら7人、未決拘禁中や受刑中に死亡した東郷茂徳元外相ら7人の計14人のA級戦犯がまつられている。 メモだけでは、昭和天皇が14人全員のA級戦犯合祀に不快感を示していたとまでは読み取れない。  政界の一部で、9月の自民党総裁選に向け、A級戦犯を分祀しようという動きがあるが、富田氏のメモはその分祀論の根拠にはなり得ない。
 天皇の靖国参拝は、昭和50年11月を最後に途絶えている。 その理由について、当時の三木武夫首相が公人でなく私人としての靖国参拝を強調したことから、天皇の靖国参拝も政治問題化したという見方と、その3年後の昭和53年10月にA級戦犯が合祀されたからだとする考え方の2説があった。
 富田氏のメモは後者の説を補強する一つの資料といえるが、それは学問的な評価にとどめるべきであり、A級戦犯分祀の是非論に利用すべきではない。 まして、首相の靖国参拝をめぐる是非論と安易に結びつけるようなことがあってはなるまい。
 昭和28年8月の国会で、 「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」 が全会一致で採択された。 これを受け、政府は関係各国の同意を得て、死刑を免れたA級戦犯やアジア各地の裁判で裁かれたBC級戦犯を釈放した。 また、刑死・獄死した戦犯の遺族に年金が支給されるようになった。
 戦犯は旧厚生省から靖国神社へ送られる祭神名票に加えられ、これに基づき 「昭和殉難者」 として同神社に合祀された。 この事実は重い。
 小泉純一郎首相は富田氏のメモに左右されず、国民を代表して堂々と靖国神社に参拝してほしい。



【社説纏め】
富田メモは本物( 全紙 )
昭和天皇の思いを重く受けとめるべき( 朝日、日経 )
中国、韓国に言及( 朝日、日経 )
メモ発見で三木首相の 「公人・私人」 説は崩れた( 産経以外 )
上記の説の補強にはなるが学問的な評価にとどめるべき( 産経 )
靖国が内外で大きな論議を呼ぶ最大の原因はA級戦犯合祀( 毎日 )
分祀論の根拠にはなり得ない( 産経 )
首相の参拝の是非論と安易に結びつけてはいけない( 産経 )
A級戦犯全員の合祀に不快感を示していたとまでは言えない( 産経、読売 )
靖国神社が折れない限り分祀は不可能( 読売 )
靖国神社に代わる施設を( 朝日、読売 )
小泉首相は靖国参拝をやめろ( 毎日、日経 )
小泉首相はメモに左右されず参拝を( 産経 )
不思議と分祀を推奨する社説はなし。 加藤紘一や山崎拓や神崎武法や小沢一郎など実力者が 「これで分祀論に弾みがつく」 という趣旨の発言をしているんだから、各紙てっきりそれに乗っかってくると思ったんですけど ……。
唯一、読売は 「分祀論議にも一石を投じることになろう」 としながらも、 「政治が宗教法人である靖国神社に分祀の圧力をかけることは、憲法の政教分離の原則に反する」 「靖国側の意向を前提としない限り不可能だ」 という結論。
朝日は 「産経ざまぁ~みろ!」 です。 三木首相の 「公人・私人」 説を批判するのに、わざわざ 「昨年8月の産経社説」 を槍玉に挙げてる。 露骨。
毎日は 「天皇の私的参拝」 と書いてますが、天皇には公的参拝しかありえないのでは? また、 「戦没者に感謝と哀悼の誠をささげるための施設として議論の余地がないなら、なぜ内外で大きな論議を呼ぶのだろうか。 その最大の原因は、A級戦犯合祀にある」 というくだりも、ちょい待ち!
最大の原因はあんた方マスコミの騒ぎすぎ&中韓へのご注進により内政干渉を呼び込んだことにあるんですけど ……。
「A級戦犯に不快感を示した昭和天皇の思いを大事にしたい」 と言うのであれば、まずはメディアが率先してA級戦犯とされた人たちが具体的に何をしたのか、何をしなかったのか等を包み隠さず国民に伝えるべきだと思います。
それを伝えずに 「昭和天皇の思い」 と言われても、多くの人はその思いを真の意味では理解できないでしょう。 基礎知識がないんですから。
メディアには 「A級戦犯は極悪人」 というイメージを先行させてきた責任があると思います。 占領下にあった時代は仕方ないとしても、独立後も多くのメディアはずっとこのイメージを正さずに来ました。 国民が東京裁判やA級戦犯について正確に知識を得ることができれば、靖国神社への見方も変わってくるだろうし、無宗教の追悼施設建設案や分祀論などは急激に衰えていくような気がします( だからメディアはやらないんでしょうけどね )。
中韓に言及しているのは朝日と日経。
朝日はこれまでとはトーンを変えて、 「中国などが合祀を問題にする前の主体的な判断だったことを重く受け止めたい」 「それは中国や韓国に言われるまでもなく、日本人自身が答えを出す問題である」。靖国問題は内政問題であると強調したいようですが、さんざん 「アジア外交が大変なことに~!」 と煽ってきたくせに、今さらそれはないでしょう。
同じ中韓言及でも日経は朝日と逆ベクトル。 「この問題で中国、韓国との関係がぎくしゃくして首脳会談も開けない異常事態が続いている」 「中国、韓国の反発だけでなく、米欧の世論も厳しい目を向けていることを忘れてはならない」 と、これまで通り“外圧”効果をストレートに期待してる。 もはや朝日ですら言ってないのに( 朝日は“外圧”頼みは効果なしと気付いた? )。 日経ならではの商売根性が伝わってきます。 国家主権より金儲け。
それに、以前から言ってることですが、米欧のいったい誰が参拝に抗議していると言うのか? 重要なのは 「米欧の世論」 という表現。 「世論」 とわざわざ付け加えてるってことは( 中国、韓国に対しては付けてない )、つまり米欧の政府はどこも靖国参拝に異を唱えてはいないということです。
また、朝日は 「それは中国や韓国に言われるまでもなく、日本人自身が答えを出す問題である」 、日経は 「この問題を他国の意向に振り回されるのではなく、日本人自身で解決するよい機会にしたい」 、同じことを書いてますね。 これらの記述の裏に読み取れるのは、 「外交問題と絡めた 『中韓が嫌がってるから参拝やめよう』 論はもう限界だ。 今後は 『昭和天皇はA級戦犯合祀に反対だったからやめよう』 論をプッシュすることで、靖国を国内問題として扱おう。 これで 『中韓の圧力に屈してはいけないから参拝すべき』 論者を黙らせることができる。 結果的に中韓に配慮する方向に向かえば何でもいい」 てな思惑。


【サヨクの主張の変遷】

  「アジア諸国が反対してるから参拝やめろ」
       
  「中国と韓国が反対してるから参拝やめろ」
       
  「アメリカも反対してるから参拝やめろ」
       
  「昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感、だから参拝やめろ」

 つぅ~ことで、サヨクは今後 「中韓」 「アメリカ」 といった“外圧”でなく、「昭和天皇」 という“内圧”を最大限利用してくるんじゃないかと ……。
 勝手な時だけ皇室を政治利用するのはやめてほしい。
 特に朝日新聞。 もうお亡くなりになっている昭和天皇の発言はここまで尊重するのに、ご健在である寛仁殿下の発言はないがしろにする。
 得意のダブル・スタンダードにもほどがある。