「富田メモ」 騒動への違和感


 靖国参拝問題に対する昭和天皇のお言葉を記録したとされる 「富田メモ」 なるものが公表され、話題を呼んでいる。 この種の問題はまず厳密な史料批判が前提、との立場からすれば、即座の反応には慎重さが要求される。 ただ、このメモをもって一気にA級戦犯分祀論へもっていこうとするメディアや政治家たちの動きを見れば、ただ黙ってばかりもいられない。 以下、簡単な感想を記したい。

 まず違和感の対象となるのが新聞の見出しである。 「A級戦犯合祀に不快感」 といったものが各紙に躍っているが、まずこれが正しいのかということである。 たしかにメモには 「私は、或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取( 白鳥 )までもが」 とあり、 「だから、私はあれ以来参拝をしていない」 とある。 しかし、この一節だけからは参拝中止の理由がいわゆる 「A級」 全体の合祀なのか、 「松岡、白取」 の合祀なのかは、どちらとも判断できかねるのだ。

 そこで、他のこの種の資料と読み比べた上での推測、ということになるが、まず思い浮かぶのは木戸幸一日記の一節である。 昭和天皇は連合国による戦犯訴追そのものに対し、 「戦争責任者を聯合国に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて退位でもして納める訳には行かないだろうか」 と述べられ、更に木戸本人につき 「( 戦争犯罪容疑者は )米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」 とのお言葉を発せられた、とここには記されているからだ。 ということは、少なくとも松岡、白鳥と他の 「A級戦犯」 との間には、昭和天皇の思いに差があり、ただ 「A級」 全てに不快感をお持ちだったとは到底思えないということである。 とすれば、それでもなお先のような見出しは成り立つのだろうか。

 むろん、かかる 「A級戦犯」 の中心とされてきた東条元首相に対し、昭和天皇がむしろ信頼感をもっておられたとの話は、広く知られている。 それゆえというべきか、元侍従長徳川義寛氏の『侍従長の遺言』には以下のような注目すべき一節もある。 「私は、東条さんら軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしいのじゃないか、と言ったんです。 永野修身さんも死刑になっていないけれど、まあ永野さんは軍人だから」

 これは徳川氏が靖国神社関係者と交した言葉とされるが、注目されるのは 「東条さんら軍人で死刑になった人はともかく」 との一節である。 ということは、東条合祀には異論は差し挟まないが、要は松岡合祀には強く反対だという意に読める。 これは徳川氏個人の意見とはとても思えないから、恐らく昭和天皇の思いを受けての発言だったのだろう。 つまり、A級全体にではなく、 「軍人でもなく、死刑にもならなかった人」 に対象を絞っての異議表明なのだ。

 ちなみに、ここではメモが一応昭和天皇のお言葉を正確に記録したもの、との前提で感想を書いている。 しかし、メモの記録としての 「正確さ」 それ自体への疑問もないわけではない。 富田氏がメモを残す時、氏による意図せぬ書き換え、主観の挿入が全くなかったとはいえないからだ。 その一例として 「参拝」 をあげるが、果たして昭和天皇はそのようなお言葉を使われたのだろうか。 ご祭神といえども天皇から見れば 「臣下」 であり、とすれば天皇がこの 「参拝」 なる言葉を使われたかのように記すメモには疑問が残るのだ。

 ともあれ、こんな疑問からだけでも、問題が簡単ではないことがわかる。 例えば、不快感の対象が 「A級」 全体ではないなら、ならば 「松岡、白鳥」 だけを分祀すべきなのか、という話にもなるし、いやそれでは余りにも恣意的だ、との反論も出てこようからだ。

 いうまでもなく、この合祀決定は靖国神社単独のものではない。 政府から対象となる名簿が送られてきて初めて決定されたものであり、その前提には国会での立法があったという話なのである。 とすれば、陛下のお心はお心としても、 「ならばそのように」 とは決してならないだろう。 明治憲法でさえ、天皇は議会に対し拒否権をおもちだとは考えられなかったからだ。

 靖国反対論者の白々しい天皇利用言説に騙されてはならない。