墓石の押売りより性質の悪い「富田メモ」の公開






 戦後、『 原敬日記』 の刊行中、馬場恒吾が出版元の乾元社に送った葉書と思われる一節に、 「原敬がこれほどこまめに日記を付けてゐたことは驚歎の外無之ほかこれなく」 と記したのを多とし、月報に採録されているけれど、この文言から日記の即日執筆を想像してはならない。 例えば明治30年7月24日、陸奥宗光の死去に関して述べた条は、印刷面で8ポ27字詰75行に及ぶ長文であり、最終行に 「此夜より陸奥伯邸に泊して諸事を周旋せり」 と明記している。
 このような敍述からも窺えるように、多忙を極める原敬が帰宅した夜には、とりあえず心覚えを極く簡略に走り書きし、一週間またはそれ以上に及ぶ期間の日記を、後日まとめてその時の気分に基づき、一息に編修執筆したと伝えられるのもむべなるかなである。
 福村出版が改定再刊した折の序に、原敬の嗣子原奎一郎が、原敬の遺書を引用している。 それには 「余の日記は数十年後は兎に角なれども当分世間に出すべからず、余の遺物中此日記は最も大切なるものとして永く保存すべし」 と指示されていた。 日記は生前くすの木製の本箱に収められてあり、歿後に家郷盛岡に送り蔵の奥に納め、無事安全を期したという。 終戦による社会の転変を考慮し、数十年後という指定を敢て縮めて昭和25年、所蔵者原奎一郎の許諾を得て公刊された次第は周知である。
 このように、重要な文書は伝来の経過を着実に辿り、公開に踏みきった当事者責任者の姓名を明らかにし、世に出すと決意した動機を確かめたうえで、本文の解読にとりかかるのが常識 である。
 しかるにこのほど突如として発表された富田朝彦の覚書メモについては、新聞報道をおおよそ見渡したかぎり、発表した所蔵者の姓名フルネームが明記されておらず、何故この時期に発表する行為を選んだのか、動機の一切が表明されていないし、何時いつどの方面の誰に初めて見せたのか、その間の経緯いきさつが記事として取り上げられていない。
 そもそも文字に現わされていない無言の書画骨董でさえ、伝来不明な突然の出現には、疑いの目をもって臨むのが常例である。 このように、読者としては是非とも知りたい由来と経過と動機とを、突きとめて明瞭に伝えるのが、新聞記者たる者の責務ではないのか
 その骨惜しみを言いつくろうために用いられる口実が、新聞雑誌ジャーナリズムは情報源を秘匿してもよろしいと、ふんどしを緩めて勝手気侭に書き飛ばすのを咎めない、現代の歎かわしい風潮である。 このように無責任を許す野放しが増大すれば、理不尽に疑いをかけられた不幸な犠牲者が、逆襲して名誉回復を目指す足掛かりが失われるではないか。
 前途のある政治家を狙い撃ちして失脚させようと企んだ朝日新聞が、今に至るも誤報の作為を認めない硬直を真似て、具体的な事実の探知による実証を放棄して恥じない、新聞記者が増えているのであろうか。




 天皇の御意向は直接に言語としては発声されず、奉仕する女房が阿吽の呼吸として承り、女房奉書として伝えるのが我が国の牢固たる伝統である。 俗世間の政治問題がこんぐらがって紛糾したとき、天皇に責任を押しつける不心得者を出さないための賢明な措置である。
 天皇の御意向を世間に悟らせるような出過ぎた振舞いは、天機を洩らす、と否定的に表現し、あってはならぬ道に外れた行為として戒しめてきた。 為てもよい事と為してはならぬ事との境界を弁えるのが、いかなる職域にあろうとも常識の大前提である。
 このたび世間に示された覚書は、一枚ずつ切り離された短冊のような断片に記されているのか、それを重ねて綴じ合わせた冊子のかたちをとつているのか。 或いは始めから帳面のように綴じた手帖の如き重ね合わせの、頁から頁へと連続して書かれているのか。 それは自家用に備えた私製の冊子であるのか、或いは博文館などが年末に売り出す市販の日記帳を転用しているのか。
 そういう 極く初歩的な疑問の解決を促すべく、見ただけで判る根本的な資料の実体を、新聞記者は取材する価値もないと、一切を投げ出して机の上に脚をのせ、世は事もなしと哺いている のであろう。
 このように、筆録された文書の姿かたちにあえて考えを及ぼすのは、今回の発表が必ずしも記されている内容の総体ではないらしく推察され、特定の或る部分のみが、一定の配慮によって選び抜かれた狭い限定の、範囲にとどめられているかのように受けとり得るゆえである。




 誰によらず世間一般、最も興味を惹くのは、事柄のなかでも特に固有名詞であり、絞って言うなら人名である。 今回の場合にしても、いささか奇異に感じられるのは、著名な外交官ふたりのみが、これ見よがしに強く目立つよう、正面に押し出されてやる大写描法である。
 取り上げ語られた人物がもっと多かったのかも知れないのに、この部分のみが筆録者の興味を唆り、強い印象を受けたゆえ、特筆された結果なのか、他にも散在した可能性のあるより高い位置にあったひとびとについては、何も記憶に残らなかったのか。 或いは殊更に筆録の必要なしと、当初から考慮の外に置かれたのか、更に突っこんで思いをめぐらせるなら、ふたりの名が列挙されている箇所のみが公表に値する、と発表をもくろんだ当事者によって、作戦を練られたゆえなのであるか、その間に思案されたかも知れない表面に現われぬ事情を推定するには、他の何を措いても、筆録文書の原型が明らかにされねばならない。
 国内における現時点で、国民の関心が集中しているのが、外交官問題であるのは申すまでもない。 北朝鮮との間に公表されない秘密の連絡手段を持つかのように誇る姿勢から、田中均 など売国奴呼ばわりされている人物が口を開かない実状は現代の標本である。 外交官なる者は、国民の目をくらまして、秘かに何をしているのか判らないという、故なしとせぬ疑念が高まりつつある。
 しかも、間近に追っている自民党の総裁選挙では、近隣外交への対処が争点になりかねぬと、国民のほとんどが感知し、危惧を払拭するには至っていない。 この時期、この憂慮を睨んでかのように、外交官のみが、筆録で問題にされているのは何故だろう。
 常識の次元で考える限り、いかに活躍した著名な外交官であっても、その人は決して国家運営の責任を一身に負う立場にはない。 彼等には国家の行く末を自分ひとりで決定する権限が与えられてはいない。 戦前戦中といえども戦後はもちろん、国政の究極的な責任者は、政府を統括する内閣総理大臣である。
 この未だなめて動揺した事例のない原理原則に照らすとき、公表された筆録者による覚書の、記述それ自体があまりにも不自然である。 この謎を解いて発表への経緯を明らかにする調査と探究こそ、新聞記者本来の使命である。 現代の我が国では、根拠の明白な実証を目指す問題意識が、既に消滅しているのであろうか。